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2010.02.18
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  『むかし女がいた』大庭みな子(新潮文庫)

 えー、なんと言いましょうかー、「飛び道具」の様な一冊であります。

 飛び道具といいますと、時代劇なんかでは、よく、

 「飛び道具とは卑怯なりー」

とか言いますが、あれ、飛び道具はなぜ卑怯なんでしょうね。

 あれはつまり、剣術等の戦い、特に個人レベルの決戦における、技術革新方面に興味を持つこと、並びに身体能力の研鑽以外の方策を追求することに対する負の評価、いわく「邪道である」ということですかね。
 うーん、いかにも産業革命と無縁、鎖国下の日本という感じがしますねー。

 別解を述べますと、あれだけ武器に差があるのに、大人げないではないかー、と言うことでしょうかね。

 ともあれ、このような本の鑑賞はきっと、ひとつでもふたつでも、自分の気に入った一章や一表現を見つけたら、それでいいのかな、と思います。

 もう少し丁寧に報告してみますね。

 作者の大庭みな子氏ですが、確か数年前にお亡くなりになりました。
 本書の解説者の瀬戸内寂聴氏も書いていらっしゃいますが、芥川賞を受賞したデビュー作『三匹の蟹』は、とても高い評価を受けた作品であったようですね。(僕はリアルタイムでは知りません。)

 僕も大学時代に読んでみましたが、今に至るまで一向に改善されることなく、もはや諦めの境地の我が頭脳の脆弱性ゆえ、なんだかよく分かりませんでした。
 ただ、素直なのがわたくしの唯一の取り柄でありましたので、よーわからんけど、偉い人なんやなーという記憶の仕方をして、今日に至りました。

 そんな作家の本を、久しぶりに読んでみました。
 本書は、28の短章からなる「小説的自伝」であります。タイトルからも分かるように、『伊勢物語』のパロディですね。
 『伊勢物語』は、「ある男」の元服から始まり、辞世の歌で終わっています。
 基本的には本書の構造もあれと同じになっています。「章」によって詩と散文が混ざっていることも、『伊勢』と同じ。
 実は僕が冒頭で「飛び道具」と思ってしまったのは、この辺の構成に由来してのことであります。(僕にはきっと詩に対するコンプレックスがあるのでしょうね。)

 さて『伊勢物語』のパロディと言うことは、テーマは必然的に「男と女」になります。本書も「小説的自伝」としてのそれが描かれています。
 ただ、そのイメージは、読み進めていくに従って、かなり「グロテスク」なものになって行きます。

 僕はなぜか、ゴヤの有名な絵画、『わが子を喰うサトゥルヌス』をイメージしました。わが子の肉を食らう神話上の人物であります。
 これは日本の物語で言えば「山姥」の姿なんでしょうか。「男と女」の話で、山姥がイメージされると言うことは、ある意味、作者の観念がきっちり描かれていると言うことでありましょうが、この「陰惨」な女のイメージは一体何なのでしょう。

 たださらに、もう少し読み進めていく(つまり自伝上の人物が年を重ねていく)と、この「陰惨」さは徐々に剥がれ、「戦いの終わり」という感じになっていきます。
 こんな表現があります。

 偕老同穴という細長い筒の中にからだを丸めて棲みついている二匹の海老を人は仲睦まじい夫婦に見立てるが、それらの海老はその筒の中から出ようにも出られない、それ以外に生きる方法がないからだ、と女は雪なだれと雷鳴の音を聞きながら思った。

 ここに見られるのはニヒリズムなんでしょうか、それとも孤独感?
 もちろんそう読んでもいいのでしょうが、僕が思ったのは、近代日本文学史の中では森鴎外の「おはこ」のように言われている「諦念」でありました。
 いわば「ニヒリズム」と「悟心」。上記の文は、さらにこう繋がっています。

 とは言え、この世のことは愛しくも美しく、心地よく降る柔らかな雪景色にも似ていた。谷の水は純白の雪の中でふかぶかと漆黒に、全ての醜いものを濃い墨の中に埋めていた。

 「男と女」の存在そのもの対する、強い愛おしさの感じられる表現でありますよね。


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Last updated  2010.02.18 06:43:00
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