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カテゴリ:昭和期・三十年女性
『ポポイ』倉橋由美子(新潮文庫) この小説には、ほとんど「脳だけの存在」とよべる人物(?)が三人出てきます。 時は21世紀も30年くらいが過ぎた頃。 元総理大臣で引退後も政界に隠然たる勢力を持つ老人(主人公の若い女性・「舞」の祖父)の家に二人のテロリストが侵入、老政治家とのやりとりの後、テロリストのうちの若い男が切腹、そして介錯されます。(介錯した男もその直後に自殺。) その夜、その老政治家は脳梗塞で倒れ緊急治療されます。 しかしそれ以降、首から下はほぼ不随状態、そして口頭での意思表示を一切しません。その代わり、コンピューター用いての筆談が可能で、意識についても特に後遺症は見えません。 一方、介錯された青年の首は直ちに脳研究所に運ばれ、人工心肺装置、人工血液供給システム等を着けられた後、「舞」によって日常的な面倒を見られるようになります。 「舞」に「ポポイ」と名付けられた青年の首は、「水盤に活けられた花」のように「生存」しながら、マウスピースを填めることでコンピューター・ディスプレイ上の筆談をすることが可能になります。 後もう一人、「慧君」という主人公「舞」の従兄弟に当たる青年が出てくるのですが、この人物については、魅力の片鱗が伺えながら充分に描かれていません。(あるいは、いわゆる「倉橋ワールド」に馴染んでいる読者には分かる、その世界の住人なんでしょうか。) この青年については、自らを「スーパー・ノヴァ」と称して、「何億という葉と宇宙まで伸びる枝をもった途方もないネットワークの樹木」と化した人物、「いわゆる孤高の存在」とだけ書かれています。 (この人物は、主人公「舞」が幼い頃から深い関係を持っていた人物でもあり、また「政治・社会・宗教」など人間存在に必須の「集団」に対する寓意を表現する人物なんでしょうが、イメージがよく分かりません。) さてこの「脳だけの存在」の三人、特に「ポポイ」と、「舞」並びに彼女を取り囲む数名の人物(富豪や政治家などの親族、脳科学者の婚約者、大学の友人など)との奇妙な関わりを描いたのがこの小説です。 えーっと、こんなお話しは、いわゆる「寓話」です、よね。 ただ、そう簡単に寓意が読み切れるものではありません。いえ、ひょっとしたら、寓意など始めから作品に含まれていないのかも知れませんし。 そもそも倉橋由美子は、本作の「脳だけの存在」などのような、シュールな題材と展開を通して、極めて寓意性に満ちた、そして、社会・集団・人間存在などに対する辛辣な諷刺に富んだ作品を得意としてきました。 そして、そんな「倉橋ワールド」を僕は、かつて愛読してきたと思っていたんですが、今回、久しぶりに筆者の小説を読んで、あれこれ考えたり思い出したりして(今回もまた極私的記述で申し訳ありませんが)、実は僕はほとんど倉橋由美子を愛読していないことに気づきました。 僕は「倉橋ワールド」を恐がっていただけなんですね。 怖かったんで、とりあえず本を買いまして(ほとんど文庫本ですが)、読んだり読まなかったりしまして(未読の文庫本が沢山ありました)、そしていつの間にかそれから離れていき、誤った「愛読」記憶だけを残した、というわけでした。 ポイントは、筆者の小説について、他の作家に比べかなり多く「持っているのに読んでない文庫本」がある、というところです。 もちろん読んだことのない作家なんて星の数ほどありますし、買っても読んでいない文庫本もたくさんありますが、同筆者の文庫本を結構揃えておきながらあまり読めていないということは、いったいどういう事でしょうね。 ひょっとしたら、こんなのを「トラウマ」と言うんじゃないでしょうか。 えーっと、この「トラウマ」の原因は、何となく分かりました。たぶんこういう事です。 (1)筆者独自の、何というかクール、ドライ、シニカル、または辛辣、優雅、厳か、などまるで結晶のような硬質な文体並びに作品展開に、強烈に惹かれつつ嫉妬している。 (2)筆者の鍛え上げたような強靱な知性に、もうこれははっきり嫉妬しつつ恐れている。 というわけで、久しぶりに「倉橋ワールド」に触れて、若い頃の自分の「みっともない」精神状況を(思い出したくなかったんですが)思い出してしまいました。 ただ、倉橋氏も亡くなってすでに数年が過ぎ、僕自身も倉橋氏の没年齢に近づきつつあり、今後ならば、あるいはもう少ししっかりと、かつ楽しく「倉橋ワールド」を読めるかも知れません。 本の小口からページから、ほとんどが茶色く変色してしまっている十冊ほどの未読本を、よく売ったり捨てたりもせずに置いてあったものです。(こんなところにも「トラウマ」の片鱗が見られますか。) よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 /font> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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