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2010.03.11
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カテゴリ:昭和~・評論家

  『二葉亭四迷伝』中村光夫(講談社文芸文庫)

 少し前に、小林秀雄の『モーツァルト』の読書報告を書きましたが、その時は、モーツァルトに対する批評の、筆者の切り込み方の角度みたいなものについて触れました。

 特別な意図があったわけではありませんが、素直にあの本を読んだ感想がそうであったわけですね。
 ところが今回、上記の本を読んで、筆者の、描いた対象(二葉亭四迷のことですね)への「距離」の取り方(素材の料理の仕方ですよね)については、全く興味が感じられませんでした。

 それはなぜなんでしょうね。
 長編評論と、かたや短編ということもありましょうし、なにより小林秀雄のあの文章には、いかにも小林色が全編に溢れていましたから。

 なるほど、そんな理由がだいたい当たっているところかも知れません。
 ともあれ、今回の長編文芸評論の感想について僕は、筆者・中村光夫に対する興味・関心を全く感じませんでした。
 これは、筆者の狙い通りのものなのか、さにあらぬものなのか、少し分かりません。
 しかし一方、本書に描かれていた二葉亭四迷の人生の意味については、とてもとても、僕は興味深いものを感じました。

 さて、二葉亭四迷の亡くなるまでを描いた本書を読み終わって、まず一つ、ため息をつくように疑問に思ったことがありました。それはこんな事です。

 「本人が嫌で仕方がないと感じている仕事に、この上ない才能を発揮する、なんて事がはたして成り立つのだろうか。」

 成り立つかといったって、ここに二葉亭四迷の実例があるじゃないかと、いわれればその通りなんでしょうが、なにか、ピンと来ません。そんな事ないですかね。

 少し考えられるのは、今、僕は「この上ない才能」と書きましたが、才能はともあれ、実際の二葉亭四迷の小説作品はまとまったものとしては三作、それも、全てが未完(あるいはそれに準じるもの)でしかないということであります。

 うーん、僕の、勇み足ですかね。
 結果として現れていない「才能」なんて、「絵に描いた餅」(?)ですかね。

 しかし、これだけ「文士=小説家」であることを嫌がった「文士」って、ちょっと考えられないですね。(もちろん「文士」に対する社会的理解が、今とは大きく異なっているせいもありましょうが。)

 彼にとって小説家になるとは、「一枝の筆を執りて国民の気質風俗志向を写し、国家の大勢を描き、または人間の生況を形容して学者も道徳家も眼のとどかぬ所に於て真理を探り出し以て自ら安心を求め、かねて衆人の世渡の助ともなる」ことでした。(中略)
 彼が「浮雲」を中絶して、小説家たることを放棄したのは、ここに述べたような小説家の使命が、自分の力では到底達せられないことを感じたからです。


 筆者はこのように書いていますが、結局、二葉亭四迷の悲劇は、あたかもドン・キホーテのような並はずれた理想主義がその根底にあり、その上に、自らが自らの仕事であると思ったことに対しては極めて潔癖かつ完全主義的であったこと、さらにもう一つ付け加えれば、自らのそんな仕事に対しても、冷静な客観的批判力を及ぼしてしまったということでしょうか。

 いわば彼は、近代国家が曲がりなりにもできて、何とか格好だけでもと必死になって作っていた明治の前半に、「小説を書く以上は、ロシア文学に匹敵するだけのものを書かねば意味はない」と本気で思った人だったわけです。

 (ついでに、彼のインテリゲンチャへの嫌悪感も同根のものですね。そしてそれは、鴎外・漱石にも共通のものでありました。)

 以降、彼の生涯は、内面が虚無感に覆われた「流浪」の人生となります。「ある先駆者の生涯」と筆者が副題をつけた、その「先駆者の悲劇」となってしまうわけですね。

 しかし、最後に思うのですが、四迷は、ロシア語を学ぶ過程で、第一流のロシア文学に直接触れ、そして、第一流の批評眼を手に入れるわけですね。
 我々は優れた「批評者」や「表現者」になるためには、第一流のものに触れねばならぬとよく耳にしますが、彼の場合なんかは、そのことの「不幸」といえるのではないでしょうか。

 今、ふっと思ったのですが、こういうのを古人は「智恵の悲しみ」と言ったのかも知れませんね。(間違っているかしら?)


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Last updated  2010.03.11 06:42:56
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analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
今猿人@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03) この件は、私よく覚えておりますよ。何故…

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