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2010.04.08
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カテゴリ:昭和期・後半男性

  『虹の彼方に』高橋源一郎(新潮文庫)

 割と気合いを入れて読み始めたんですがね。
 なぜ、気合いを入れたかというと、まず、高橋源一郎の小説だからですね。

 高橋源一郎の小説は、僕は「とても」とは言いませんが、結構好きです。
 新作をすぐに読むというほどではありませんが、文庫になってからとか、図書館でとか、古書店でとか含めますと、ほぼ小説はすべて読んでいるんじゃないかな(最新作除く)と思います。

 でもそれがなぜ気合いを入れた理由になるのかというと、たぶん本ブログに読書報告をすることになるんじゃないかなと思いつつ読んだからですね。

 えー、分かる人は分かるって話になっていますがー。
 高橋源一郎の小説で、その読書報告をするとなると、これはやはりちょっとくらいは気合いを入れねばならんでしょう、ってことですね。
 でも、その甲斐はありませんでしたがー。

 しかし、いろんなことを考えることができました。
 この筆者はまじめに書いているんだなと言うことも、何となく、かつ遅まきながら、わかりました。(当たり前ですかね)

 当たり前といえば、これも当たり前なのかもしれませんが、この小説は思いの外にしっかりストーリーがあるのだなと言うことにも気がつきました。(前回読んだ時は、それがあまりわかりませんでした。)
 ちょっとその辺をとっかかりにして報告してみます。

 この小説は、「小説的自伝」だったんですね。なるほど、デビューして二作目といえば、そんなのを取り出してくるあたりかもしれませんよね。

 実は筆者を、ウィキペディアでちょっと調べてみたんですね。簡単な年譜が載っていました。で、なるほどと、かなり「納得」できたわけです。(でもそんな読み方を筆者が求めていたかどうかは、いえ、たぶん求めていなかったと思いますが。)

 キーワードを以下のように置くと、かなりストーリーが見えてきます。

   学生運動・逮捕・失語症・離婚・娘

 例えば、作品中に不必要なほど、しつこいばかりの「同語反復」が出てきますが、それに「失語症」のフィルターを掛けると、その意味が理解できます。
 それができると、この「同語反復」が言葉の意味を揺らせている効果について、抵抗なくおもしろがることができると思います。

 そんな小説です。なかなか、頑張ってしっかりと、筆者はお書きであります。
 それにこの作品が自伝だとすると、書くに当たってこれだけエピソードを集めてきたということについても、なるほど一生懸命、丁寧に書いているんだなー、という感想が生まれてきます。

 そして、どこか「切ない」小説になっていることについても。

 ただ、そんな読みやすそうな小説でばかりではありません。
 なぜなら、描写は絶えず「無意味」と紙一重のところで展開し続けていますから。

 この文体は(僕が思うに、ではありますが)、表現の小さい単位(「言葉の断片」)と大きな単位(全体の形)は、何となくわかる、あるいは感じることができて、しかし中くらいの大きさの単位(「文脈」でしょうかねー)は、ほぼ意味を形作らないものになっていると思いました。

 小さな単位の「言葉の断片」に、とても喚起力の強い表現が現れているとしても(これがこの作家の大きな魅力であります)、やはりこれだけ「文脈」を解体されてしまうと、感覚的には感じるところのある「言葉の断片」にも、再び疑問はおきます。

 これは、「悪ふざけ」なんじゃないのか、と。

 でも、そんなあたりになると、すっと「意味」が復活してきたりするんですねー。
 この辺の兼ね合いが、この小説の評価のポイントかもしれません。

 読了後、僕の心の中に何かが残っていることはわかります。さほど、悪い印象のないものです。少し切なくて、透明感のあるものです。
 なるほど、これなのかなとも思います。しかし、まだわからないなとも思います。

 高橋源一郎の小説はすべてこうであるとは思いませんが、こういった小説に取り組んでいる小説家は、日本ではたぶん、この方だけでありましょう。


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Last updated  2010.04.08 06:24:56
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