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カテゴリ:大正期・白樺派
『宣言』有島武郎(岩波文庫) 初めて有島武郎の『或る女』を読んだ時、かなりびっくりした記憶があります。 それは、そもそも有島武郎の小説を、それまで僕がよく読んでいなかったということもありました。 童話集の『一房の葡萄』とか、なんだかよく覚えていない『惜しみなく愛は奪う』とか(僕の手元のこの本には、読んだ痕跡はあるのですが、内容についての記憶がまるでありません)、それくらいしか知りませんでした。 そこに近代リアリズム小説の、日本文学史上の最高の結実の一つである『或る女』ですから、まー、びっくりしますわね。 そこでこの作者については、今後注目しておくべきという感想を持ったのですが、さて今回の『宣言』であります。 これは、筆者にとってかなり初期の作品なんですかね。年譜を調べますとこんな風になっています。 1910(明治43) 『かんかん虫』(処女小説)・32歳 ( 1914(大正3) ・夏目漱石『こころ』 ) 1915(大正4) ・『宣言』・37歳 1919(大正8) ・『或る女』・41歳 ( 〃 ・武者小路実篤『友情』 ) こんな感じですね。やはり、初期の作品ということでしょうかね。 ついでにこの後の年譜ですが、有島武郎は45歳で亡くなっています。死因は、自殺=心中ですね。軽井沢の別荘で、婦人記者の波多野秋子と縊死をしました。 (遺体の発見が一月以上遅れたため、その腐乱が甚だしかったというのは、まー、有名な話。) ところで、上記の年譜に何か、別な物が混じっていそうですがー、えー、これが実は、今回の報告の小説『宣言』と、関係があるんですね。 『宣言』は、一人の女性を巡る二人の男の、恋と友情の物語であります。 と、これだけ書けば気が付くように、粗筋についてだけ言えば、夏目漱石の『こころ』、武者小路実篤の『友情』と全く同じなわけです。 特に、最後に主人公と目される方が恋に破れるという筋書きは、『友情』と全く同じですね。そして、武者小路と有島は、同じ「白樺派」であります。 武者小路の『友情』の作品中に、漱石の『それから』に触れて、女性が友情よりも愛情を取りなさいと男に勧めるくだりがあります。作中であるかどうかはおいても、武者小路は、この『宣言』にはちっとも触れていません。 「知名度」の差ということもありましょうが、ひょっとしたら、触れると似すぎていることに誰もが気が付くからではないでしょうか。でも、偶然とは思いがたいですよねー。 まー、この事については、今となってはこの程度の感想でいいのかも知れませんが。 さてそんな酷似性を持つ『友情』との比較ですが、知名度においては圧倒的に『友情』の勝ちですよね。一方は、有島にこんな小説があったということすらあまり知られていません。(「売れ筋外し」の岩波文庫に入ってるくらいです。) (ところで、有島武郎には『宣言一つ』という「評論」なんでしょうかね、全く別の作品があります。この名前のよく似た評論の方が、どちらかといえば有名ですよね。この後期の評論には、有島の思想の破綻の様子が描かれており、そこから心中までは一直線であります。) 実は有島の『宣言』は、三角関係という読者に取っつきやすそうな題材を選びながら、かなり読みにくいです。 書簡体形式を取っており(「書簡体」というのもちょっと読みづらいですよね、慣れなければ)、そこに描かれている手紙の内容は、若い誠実な男同士の、恋愛観・宗教観・芸術観・勤労観などの意見のやり取りであります。 それは、初々しく爽やかといえば爽やかですが、いかにも抽象的で、実生活における様々な経験不足の青年による観念論で、「生硬」な感じが強く、少し読みづらいです。(それが筆者独特の欧文脈で描かれています。) おそらく、筆者の書きたかったのは、むしろこちらの方、つまり「恋愛小説」ではなくて「思想小説」であったのだと思われます。 そう考えなければ、作品中の「三角関係」の生まれる発端である、自らは女性の家から遠く離れた地方に住みつつ、友人にその女性の家に同居させるという、致命的に混乱を生みそうな設定は、少し納得しづらいです。 (漱石の『こころ』の、「私」が「お嬢さん」との下宿に、「K」を共に住まわせようとして、「奥さん」に強く反対されるシーンが思い出されます。) ということで、『友情』よりも圧倒的に読まれない本書でありますが、そうなった理由は、やはり有島と武者小路の「生き方」にかかわるものと思われ、この延長線上に有島には『或る女』が生まれつつ、さらにその先には自死があったわけです。 なかなか、考えさせるものでありますね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 /font> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.22 06:32:51
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