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2010.04.24
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  『末枯・続末枯・露芝』久保田万太郎(岩波文庫)

 久保万といえば、二つのエピソードを思い出します。(というか、僕はこのくらいしか久保田万太郎について知っていません。我ながら誠に知識の幅の狭さを痛感致します。)

 一つめの話ですが、僕は、本当に「腰折れ」という言葉そのままの俳句を作るのを、趣味の一つとしているのですが、そんな僕がぼんやりとかつ最も感動した俳句を思い出しますと、二つの俳句が浮かびます。

 ひとつは、これ。有名中の有名な句ですね。

   荒海や佐渡に横たふ天の河

 この芭蕉の名句を初めて読んだのは幾つくらいの時だったでしょうか、今となっては思い出せません。中学校の頃あたりでしょうかね。
 その時の感動を、今の言葉でまとめてみますと、なんて広い世界を、俳句というものは詠むことが出来るんだろうか、くらいの気持ちであったように思います。

 (しかし情けないもので、今この句を読んでも、知識とか記憶としては、はるかな「悠久」といった感想は持つものの、かつて幼かった頃に初めて読んで抱いた、「すごいなー」と感じた素朴な、しかしとても強い感動はもはや蘇ってきません。歳を取るということは、やはり淋しいこともありますね。)

 そして、もう一つの俳句が、これ。久保万の名句ですね。

   湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

 この句は大人になってから知りました。初めて読んだ時、やはりぞくっとしましたね。「すごいもんだな」と感心しました。

 後日この句を、丸谷才一が「昭和の絶唱」として取り上げていた文章を読みまして、やはり一世一代の名句であったのだと知りました。
 (丸谷才一は確かその文章で、短歌の「昭和の絶唱」も挙げていたように思うんですが、その時挙げていたのが斎藤茂吉の、えーっと、「逆白波」がどうのこうのという歌であったように思うんですがー、情けない話で、よくわかりません。ホント、情けない。)

 という僕の思い出が一つです。
 もう一つの久保万エピソードは、実につまらない話ですが、彼は、画家の梅原龍三郎邸のパーティに呼ばれて、そこで食べた寿司の赤貝が喉に詰まって死んでしまったというもので、これは確か、山田風太郎の『人間臨終図巻』で読んだんじゃなかったかしら。(今、調べてみたら、やはりそう書いてありました。徳間文庫の山田風太郎『人間臨終図巻3』にあります。)

 ところで、上記の山田風太郎の文章に、こんな引用文があります。

 「己が身勝手で過ちの連続をし、しかも矯めることのできない生得の性を痛いほど知ったあげく、なまじな世才をめったやたらに振り廻し、不義理不人情のそしりには、不貞腐れで押し通し、『寂しい、寂しい』と洟水たらして、巷を右往左往している、我執のかたまりみたいな稚い老人」(後藤杜三『わが久保田万太郎』)

 むちゃくちゃ言われていますね。ちなみに後藤杜三という人については、久保田万太郎を「最も理解する弟子」と、山田風太郎は紹介しています。
 うーん、しかし今回の小説を読んで、さもありなんという気はしないでもないですねー。

 さて、やっと冒頭の小説の読書報告に辿り着いたのですが、しかしよくしたもので(何が)、すでにこの小説の雰囲気は、上記の二つの久保万エピソードが語ってくれているようにも思えます。(これって、かなりムリな「欲目」?)

 三作収録されている短編集中、前二つの小説が特に、時代は明治中頃ですか、東京下町情緒を切れ味鋭く描いて、やはりうまいなあと思います。
 「扇朝」「せん枝」「鈴むら」という主な三人の登場人物、落語家と旦那衆の造型がとてもいいと思いました。

 ただ、特に続編の『続・末枯』に強く思ったんですが、江戸情緒の「イキ」という美意識も、あまりそればかりで日常の生業をされると、しつこさを感じるものであるな、と。

 これは僕が東京人じゃないからそう思うんでしょうかね。
 この小説を読んで、「やせ我慢」にも程があるでしょうにと思う僕は、織田作の好きな関西人であります。
 ……いえ少し、「ヤボ」を言い過ぎましたかね。


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Last updated  2010.04.24 07:17:42
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