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近代日本文学史メジャーのマイナー

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2010.06.05
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  『坊っちゃん』夏目漱石(新潮文庫)

 私が大学時代ですからもう四半世紀も前ですが、文学部というところにおりまして、四年生になったら卒業論文を書かねばなりません。
 私の論文のテーマは、以前にも本ブログで報告させていただきました谷崎潤一郎でしたが、もちろんいろんな作家を、いろんな学生が選んでいました。

 で、やはりそんな中に、漱石を選ぶヤツがいるんですね。
 僕は漱石は大好きでしたが、漱石を卒論に選ぼうとは思いませんでした。なぜなら四年生になるまでに、漱石の研究書は毎年二百冊くらい発行されている、と聞いたからです。
 そんなモン、読めっこないですよね。一年分二百冊だけなら、あるいは腹を据えて読めば読めないこともないでしょうが、いつからその数字になったのかは知りませんが、毎年二百冊なんですから。

 だから僕は漱石は選ばなかったのですが、まー、世間には恐れ知らずなヤカラがいて(しかも結構沢山いて)、漱石卒論という友人達が何人かいました。

 それから四半世紀、はて、今でも漱石研究って盛況なんでしょうか。
 もう、「煮つまって」しまっているんじゃないんでしょうか。新しい発見とか、今でもあるんでしょうかね。
 もはやその世界については、とんとご無沙汰なもので一向に様子が分かりませんが、先日こんな本を読みました。

   『汽車旅放浪記』関川夏央(新潮文庫)

 筆者の関川氏は、私が非常に敬愛し信頼する文学者であります。文学作品を評論していて切り口がとても斬新です。今回のこの本もそうでしたが、中に、『坊っちゃん』について触れた個所がありました。これがまた、ハッとするような切り口であります。
 下記はその一節、坊っちゃんが物理学校に入学する所を取りあげた文章です。

 東京大学仏語物理学科(フランス人教員がフランス語で授業を行った)の卒業生と在学生が、中堅技師養成のために、明治十四年、ボランティアで開校した物理学校は、当初から誰でも無試験で入学させることで知られていた。しかし同時に進級も卒業も楽ではないことも広く知られていた。坊っちゃんと同期入学者は二百八名だが、そのうち規定の三年で卒業した者は二十五名にすぎない。とすれば「いつでも下から勘定する方が便利」な成績であっても入学者の上位二十五番以内十五番目くらいが妥当なところだろう。坊っちゃんは勉強家だったのである。

 と、こう書いてあります。
 こんな視点は斬新ですよねー。そしてさらに私がハッとしたのは、続いてこう書いてあったことでした。

 このような背景は、当時の小説『坊っちゃん』の読者には諒解されていたことだと私は思う。

 うーん、まだまだ漱石を巡るテーマは、たくさんあるのかも知れませんねー。

 さてそんな漱石の『坊っちゃん』を、この度何度目になるのか、読み直してみました。
 今回特に気づいたことは、やはりあるものです。それは二つありました。

 一つ目は、冒頭からしばらく続く、坊っちゃんが四国へ行くまでの半生を書いた部分でした。ここの部分は改めて読んでみると、かなり「異常」な坊っちゃんの家族関係が読みとれます。これは多分、今と明治時代の差というものではないと思います。

 それは、坊ちゃんがあまりに両親から愛されなさすぎると言うことです。
 腕白者すぎて近所の人々から爪弾きにされるというのはともかく、本来ならそんな子ほど、肉親は「身びいき」にその子の良いところを探し出して、認めたり愛したりするものですが、坊っちゃんの場合、両親がまず一番になって坊っちゃんを否定しています。

 これは漱石の誇張でしょうか。ではなぜこんな誇張を漱石は書くのでしょうか。
 「清」との対比を際だたせるため?
 それもあるかも知れません。しかし、ともかく文庫本で冒頭から十ページほどの坊っちゃんの四国に行くまでの部分は、「リアリズム」の眼で見ますと、少し親からの愛されなかたが「異常」であります。

 そして二つ目に気が附いたことは、多分一つ目と不離の関係にあるんでしょうが、この『坊っちゃん』というお話は、どこか、かなり、淋しいということです。

 この「淋しさ」は、『三四郎』の中にも風のように出てきたり、また絶筆の『明暗』の中にも吹いているものに繋がっていそうです。

 これは、漱石作品に広く遍在するものでありましょうが、特に坊っちゃんについては、肉親から愛されたことがないという少年時の体験が、どこか坊っちゃんの言動や考え方、感じ方の端々に、自分は人からは愛されない存在なのだという「あきらめ」めいたものをもたらしています。

 それが、ストーリー上の必敗者である坊っちゃん、というだけではない「淋しさ」を、作品内に通奏低音のように漂わせていると思いました。

 もちろんそれらを補うべき「清」の存在は、有名なこの作品の結語に集約される形で感動的に描かれはするのですが、さて今回の私の読みは、それを上回る坊っちゃんの淋しさが気になって、我ながらちょっと驚くほどでありました。


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Last updated  2010.06.05 06:40:02
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