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カテゴリ:明治期・明治末期
『野菊の墓』伊藤左千夫(新潮文庫) きわめて無知と偏見にまみれた人間と、我ながら思ってはいるのですが、そして、無知はともかく、偏見については何度も自らを戒めはしているのですが、それでもやはり、いろんな事柄について、誤った理解をしています。 何の話かといいますと、僕が伊藤左千夫に対して、故ない先入観を持っていたということであります。 それは二つありまして、一つは、以前読んだこの本のせい(って、本のせいにしてしまってはいけないんですが)ですね。この本です。 『近代短歌の鑑賞と批評』木俣修(明治書院) この本の中の、与謝野晶子の歌の鑑賞と批評部分ですが、ここに左千夫は、「悪役」として登場してくるんですね。 晶子のこの歌です。 遠つあふみ大河ながるる国なかば菜の花さきぬ富士をあなたに この歌を彼は、距離感がめちゃめちゃで「趣味が統一しない」と評したんですね。そして、あろう事か、頼まれもしないのに勝手に添削までしちゃいまして、これならまだよかろうと書いたんです。 これが添削結果の歌。 国断てる大河に続く菜の花や菜の原遠く富士の山みゆ 時代的限界とはいいながら、はっきり言って、ちょっと自らの「恥」を歴史に残してしまいましたねー。うーん、怖いものです。 とまー、こんな文章を先に読みますと、伊藤左千夫はどうしようもない教条主義者ないしは堅物・偏屈者であろうという先入観を持ってしまいますよねー。(そうだ、私の責任ばかりではないんですよね。) そんな「堅物」の印象をもったまま、このたび僕は本書を読んだのですが(このお話も、かなり昔に一度は読んでいるはずですが、なんせ大昔です)、読み終えまして「堅物」の印象は、……あれ、なんかほとんど正しい先入観ではなかったかしら。 しかし「堅物」はともかく、何といいますか、かなり「鈍くさい」感じの小説であります。 物語の運びやバランスがいかにも「鈍くさい」感じがする上に、えー、これは時代の限界にしてしまってもいいんでしょうが、この民子の悲劇はどこから来てるのかと突き詰めていきますと、なんかとても「軽薄」なものに突き当たりるような気がします。 私は最初、それを本文にあるごとく「年上女房」が許せないというポリシーなのかなと思いました。そして、その時代における「年上女房」のタブー度ということについて考え始めていたんですが、民子が死んだ後、政夫の母親はこんな事を言っているんですね。 「(略)……たとい女の方が年上であろうとも本人同志が得心であらば、何も親だからとて余計な口出しをせなくてもよいのに、此母が年甲斐もなく親だてらにいらぬお世話を焼いて、取返しのつかぬことをして了った。民子は私が手を掛けて殺したも同じ。どうぞ堪忍してくれ政夫……私は民子の跡追ってゆきたい……」 この母親は、民子を別の男性に結婚させるため、おまえは政夫との結婚を考えているのかも知れないが年上のお前にそれは許されんと、直接引導を渡しているんですね。この部分はそれを受けているわけです。 しかしこんな風にあっさり反省するなら(まーあっさりでもありませんが)、引導を渡すところまで行かなくてもいいんですよね。 この母親の論理の流れは、まず最初にこの幼い二人の恋愛感情を侮っていたところにあるんですね。 そして後になって薄々そのことに気がついた時には、今度は自らの意地もあって、引っ込みもつかず強引に主張し通した、と。 こういう、「軽薄」としかいいようのない感情の元に起こった悲劇なわけですね。 うーん、これは何といいますか、やや滑稽感が漂うのはいかんともしがたいところでありますなー。やはり時代的な限界なんでしょうかねー。 最後に伊藤左千夫の名誉のために、弁護を少し。 伊藤左千夫の文学史上の存在感は、やはり短歌にあります。下記のような歌は、いかにも「万葉調」で堂々として、とても重厚な作品と万人の認めるところでありましょう。 裏戸出でて見る物もなし寒々と曇る日傾く枯葦の上に 世にあらむ生きのたづきのひまをもとめ雨の青葉に一日こもれり あ、えっと、誤った先入観の二つ目に触れていませんでした。 いえ、大した内容ではないです。でも、えっ? と、少しびっくりしたことであります。 それは、伊藤左千夫が漱石よりも年長者で、亡くなったのも漱石より先であるということなんですが、そんなイメージ、あなたはお持ちでしたか? よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.06.09 06:34:55
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