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2010.06.26
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カテゴリ:大正期・白樺派

  『井原西鶴』武者小路実篤(角川文庫)

 本ブログで再三お世話になっている『人間臨終図巻』(山田風太郎)の第三巻、「九十一歳で死んだ人々」の中に武者小路実篤が入っていて、そこに引用されている文は(少なくとも僕には)衝撃的でありました。例えばこれは、九十歳の時の武者小路の書いた文の一部です。

 児島が、電車で死をとげた事を知った時も、僕は気にしながら、つい失礼してしまった。児島にあえば笑ってすませると思ったが、失礼して、今日まですごして来たわけだ。もちろん逢えば笑ってすませることだろうと思う。児島とあえば笑ってすませるのかも知らないが、児島の事を思うとつい笑ってすまない顔をしてしまうかも知れない。児島は逢えば笑ってすませる所と思うが。

 この手の文章を後二例引用した後、山田風太郎はこう書いています。

 脳髄解体。--
 正宗白鳥と武者小路実篤は、前者は厭世主義の、後者は楽天主義の、同じレコードを一生まわしつづけた人であった。それでいて双方とも、読む人を飽かしめなかったのは、それがホンモノであったからだ。
 が、さしもの楽天主義の歌も、これでは一回転ごとに針がもとにもどるレコードと化した観がある。


 あの武者小路が、と思わずにいられない文章ですが、そう思った後、おそらく誰もが続いて疑問に持ったであろう事柄があります。
 それはつまり、なぜこんな文章がそのまま発表されてしまったのか、ということです。

 先日、嵐山光三郎が、『追悼の達人』でそれに触れているのを見つけました。
 それによりますと、実は武者小路は亡くなる五年くらい前(八十五歳くらいです)から惚け始め、原稿にも誤字脱字、文脈の乱れなどが多くなったという事です。
 ところが作家の小島政二郎が「武者さんの文章はどんなものでも直すべきではない」といったことで、「実篤の悲劇」が起こってしまったとありました。

 うーん、小島政二郎はいったいどういうつもりでこんなことを言ったのでしょうねぇ。
 どう考えても、これはちょっと無いでしょう。現に武者小路に惚けの兆候が見え始めているというのに。
 もし惚け方も武者小路の個性であると考えたのなら、それはあまりに非科学的な論理でありますね。

 さて今回読書報告をしますのは、そんな晩年を送った武者小路実篤の昭和六年(1931年)の作品です。
 僕は寡聞にして知らなかったのですが、筆者は昭和の初めから十年間くらい、数多くの伝記を書いていたという事です。

 二宮尊徳・空海・大石良雄・宮本武蔵・北斎・釈迦・トルストイ……。
 昭和初年にこういった作品を書いた事の意味は、一つは、言論弾圧等の厳しくなってきた時代における、一つの韜晦の形でしょうか。
 筆者だけではなくこの時期、少なくない文学者が、何らかの形で時代と向き合う事の少ない作品に「沈潜」していきます。

 もう一つは筆者独自の創作力の問題。
 武者小路の創作力の絶頂といえば、大正八年『友情』を一つのピークにする、大正期全般でしょうか。
 ただその後、昭和に入ったあたりは、筆者は「新しい村」運動に精力的に取り組んでおり、いろんな課題を抱えながらの執筆活動は、決して「衰えた」とはいえないものであったと思います。

 そんな時期の本作であります。
 上記に「伝記の時代」として、西鶴以外にも多くの偉人を取り上げている様を紹介しましたが、しかしやはり、文学者(小説家)が文学者(小説家)を取り上げるというのは、他の歴史的人物の場合とは異なって、モデルである文学者に対する文学的評価を描く事になると思えます。

 そして、武者小路は西鶴をどう評価したかといいますと、それがなんといいましょうか、それがある意味いかにも武者小路的な評価なんでしょうが、武者小路は西鶴を評価せずに、自分自身を書いたとしか、実は私には読めませんでした。

 考えてみれば、一連のシリーズものの出版物である故なんでしょうが、武者小路と西鶴とは、いかにも「ミスマッチ」な感じが、しませんかね。
 かつて、太宰治が、やはり西鶴の作品を取り上げていましたが、それは太宰自身が自分は津軽出身の上方文化に縁のない「田舎者ながら」というニュアンスの「アリバイ」を自分で作りつつ、しかし実に西鶴の西鶴的なエッセンス(人間観察)を掬い取った作品を発表していました。(太宰の小説作法は、地域文化とはあまり関係のない人間心理中心だと思います。)

 それに比べますと、ここに描かれる西鶴像は、いかにも「白樺派」の、トルストイやロダンに影響を受けたであろう西鶴像であります。

 なるほど。冒頭に山田風太郎の一文を引用しましたが、「同じレコードを一生まわしつづけた」とは、こういう事を指すのかも知れません。

 しかし同時に、ここまで正面切ってそういう立場を主張されますと、同じく山田風太郎の「それがホンモノであったからだ」という文脈も、何か、ある種の爽やかさと共に納得されて、決して読後感の悪いものではありませんでした。

 筆者は『伝記小説に就いて』という一文で、こんな事を書いています。

 材料は父、作者は母、作品は子、作者は材料になるべく似た子が生みたいが、しかし生まれてくる子はどつちにより多く似るか、作者は知らない。

 なるほど、とてもすがすがしい「楽天主義」であります。


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Last updated  2010.06.26 07:56:18
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