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2010.07.10
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  『やさしい夜の物語』円地文子(集英社文庫)

 こういうお話は、「翻案」というんですかね。
 うーん、違うのかな、例えば芥川の時代小説(特に王朝小説)には、ほとんど出典がありますよね。そんな意味で言えば、本作も同様かな、と。別に「翻案」なんて言わなくてもいいのかな。

 あるいは、日本文学の伝統に則った表現で、「本歌取り」とでも言うのがふさわしいのかも知れません。
 そんな、古典の物語に依拠した小説であります。

 「本歌」にあたる王朝物語は『夜半の寝覚め』(『夜の寝覚め』『寝覚め物語』とも言うそうです)でありますが、王朝物語と筆者の関係といえば、筆者にはあの恐るべき作品『なまみこ物語』があると、これだけで十分にいろんな事を語っていると思います。

 さて、本作は、その『なまみこ物語』の少し手前に書かれた作品だそうです。
 初出の発表形式が雑誌「婦人の友」に連載という形で、純文学一直線でないぶん、肩の力が抜けて、あわせて、筆者はかなり自分の創作意欲のままに書いているような気がします。

 今、「創作意欲のまま」と書きましたが、本書には、「あとがき」という感じで、小説が終わったあとに、筆者が、王朝物語『夜半の寝覚め』について、作品との出会いや作品の梗概に触れている部分がありますが、なかなか興味深いです。ちょっと引用してみますね。

 (略)…それらの欠点を認めるとしても、この物語が、「狭衣」や「とりかへばや」程度にも全巻を完うした形で世に伝わらなかったことには不思議さと遺憾とを同時に感じないでは居られないのである。
 「寝覚」はそれほど読者の愛情をつなぎ得ない作品であろうか。いやむしろ、「狭衣」や「とりかへばや」に較べて遙かに生きた人間をリアルに描いている秀作だと思われるので、その物語が、首尾を全うした形を保ち得なかったことに、私は後生の群小作者の一人としてこの不遇な物語と名の伝わらないその作者とに尽きない同情を感じるのである。


 うーん、しかし、こんな軽くさらりと書いた程度の文章でも、こうして書き写してみると、まことに表現力の豊かさがひしひしと感じられます。縦横無尽・天衣無縫ですねー。
 「不思議さと遺憾」という言葉の使い方が、僕には特に感心されます。

 さてこの物語の「不遇」さについてですが、それは、元々あった『夜半の寝覚め』はどうも二十巻近くあったようなのに、現在は五巻しか現存していないということですね。
 優れた作品は、必ずや時間のヤスリに耐えて、形を後世に残していくという考え方が、筆者の「不思議さと遺憾」という言葉の後ろにもあるんですね。

 ところでさて、僕が上記に「創作意欲のまま」と書いたことですが、今回本書を読んで、小説家とは面白いものだなーととても思ったんですが、それは筆者が、原典物語の散逸部分のどこに興味を持ったかと言うことであります。

 それは端的に言いますと、人生の晩年を迎えた権力者が、財力や権力に物を言わせることなく若い女性の愛を手に入れるプロセス、という部分です。

 よく考えると、この条件下では、そのための手段はさほどないことが分かるのですが、それがとても丁寧に書かれていきます。このあたりの人間心理は、明らかに舞台となった王朝時代の人間心理ではなく、現代の我々の感じ方が人物に重ねられています。

 そしてその結果どうなったかというと、これがまた、僕が面白いなーと思ったことなのですが、一つは、作品の主人公が変わってしまったということです。
 『寝覚』は、この時代には珍しい女性を中心に描いた物語であるのに、筆者はこのことを評価していたはずなのに、本作では高齢の関白大臣が中心になってしまいます。

 そしてもう一つ、そんな風に丁寧に細かな心理を描きながら、しかし作品としては、前述の関白の死をもって、いささか尻すぼみに作品は幕を閉じてしまうわけです。
 この、作品の終えようは、ちょっと読者に不親切じゃないかと思われかねない唐突さであります。

 この辺の素っ気なさは、数年後の『なまみこ物語』を焦点距離の中に入れつつ、もうこの作品での実験は終わったとでも言いそうな形であります。
 しかし、ここまで自信を持ってなされますと、それはそれで、このエンディングも十分ありかなと思わせてしまうなと、僕は最後にそんな風に感じたのでありました。


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Last updated  2010.07.10 06:51:22
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