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カテゴリ:昭和期・後半男性
『恐怖』筒井康隆(文春文庫) 小説がいつ生まれたのかということについては、たぶん専門家がそれなりの研究・考察をなさっているでしょうし、きっとそれなりの学問的成果があることと思います。 いわゆる西洋的な小説をとりあえず考えるとして(といっても、それに対する日本的な小説がどんなものか、平安朝の「物語」あたりが嚆矢なのかなとは思いつつ、では西洋的小説との差異を問われると、いかんせん素人の悲しさ、なんだかよくわかりません)、その生まれは17世紀とか18世紀とかになるんでしょうか。 小説は、文芸の中でもっとも最後に登場し、そして、もっとも自由な文芸形態であると、えーっと、大学時代、英文学史の講義あたりで習ったような記憶がうっすらあるんですが、正しいでしょうかね。 とにかく小説という文芸形態の最大の特徴は「何でもあり」であると、どこかで習ったか何かで読んだ私は、今でもなるほどその通りだと思っています。 しかし人間の悲しさ、実は人間は「何でもあり」=「まったき自由」には、充分に耐えられないんですね。SMの世界がそれを語っています(って、これはちょっと違いますかね。いえ、きっと違いません)。 人間は、すぐにルールを作ってしまいます。 それはきっと安心したいんでしょうね。だってそもそも我々の肉体というものが「保守反動」なものですものね。放っておくとすぐに動かないでおこう、このまま楽していたいとなりますものね。 ともあれ、そんな本来自由そのものであるはずの小説世界にも、あれはダメこれはダメあれがよいこうするのが決まり、と言う有形無形のものが現れます。 一時期、いえ、現在でもでしょうか、日本の小説家の中で、もっとも過激に小説のルールを破壊しまくっていた小説家が、この筒井康隆氏であると言って、多分間違いないかと思います。 これはやはり、何というか、かなり偉いと、言わざるを得ないでしょうねー。 というような、やや奥歯に物の挟まった言い方をしてしまったのは、客観的に考えて、「やっぱ筒井ってすごいよなー」とは理解しつつ、まー、私が割と保守反動な人間なんでしょうか、後述しますが、好みでいうとあまり合わない部分があると言う気がしているからであります。すみません。 いえ、好きな作品も結構あるんですね。ちょうど、筒井氏が大きく化け始めた頃の作品。 『大いなる助走』あたりから始まって『虚人たち』とか『虚航船団』とかの時期は、一作一作かなり読み応えがありましたよねー。 かつては星新一・小松左京と並んだ「SF作家御三家」の中では、まー、こう言っては何ですが、もっとも後塵を拝していたと思われていた(そんなことなかったですか? 私が勝手に思っていただけですか?)筒井氏が、あれよあれよという間に二人を抜き去り、ぶっちぎりでトップに立ったという感じでしたものねー。凄かったですよねー。 特に私が筒井氏の作品を好んだのは、方法論への徹底的な興味とその世界のルールの破壊、言い換えれば「文章・文体・言語・言葉」が主なるテーマだったからでした。 短編小説も含めたいろんな作品に描かれた「実験」に、とても感心しました。 今でもそう思っているんですが、筒井氏の様々な実験は、言葉の成り立ちであるコミュニケーション・ルーツという働きを、いかにコミュニケーションから引き剥がして成立させるかと言うものであったと理解しています。 考えれば変な話ですよね。 例えば「リアリズム」なんかが典型的ですが、いかに言葉で現実を相似形に再現するかと言うことに作家達が切磋琢磨する中で、彼だけが逆の方向を向いているんですね。 どのように言葉から意味を剥ぎ取るか(=現実を剥ぎ取るか)を、他ならぬ言葉を使って追及するなんて、二律背反・天の邪鬼も甚だしいですよね。 筒井氏は、そんな極端にオリジナリティの高い小説家であります。 しかし、私の個人的な好みで申しますれば、それ以外の部分については、どうも、筒井氏の作品の好みに合いかねるところがあったりして、えー、誠に困ったものであります。特に、作品のストーリーなんですね。 なんと言いますか、事これに関しては、私は読み終えて多くの不満足を覚えます。 さて、今回の冒頭の作品も、上記の私の筒井作品への総体的印象をほぼ踏襲しているように思いました。 「メタ小説」的展開は、今回もそれなりの目新しさを見せてくれるのですが、それが支えているストーリーに、やはり私は不満足なものを感じました。 上に書きましたように、数々の実験だけで、もちろん凄いと言ってしまうに決して吝かではありません。しかし、あえて読者の特権・読者のわがままと言うことで、「うーん、途中まではいつも面白いんだけどなー」と、……あ、そのまま書いてしまいました。 どうもごめんなさい。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.07.14 06:35:18
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