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カテゴリ:昭和期・二次戦後派
『笑う月』安部公房(新潮文庫) 久しぶりに安部公房の本を手にして、いろんな事を考えました。 安部公房は僕が「文学青年」だった頃の、現代日本文学界のきらびやかな「大スター」だったと思います。 (あの頃は、公房以外にも何人か日本文学のスターがいましたが、今でもそういった作家はいるんでしょうかね。例えば村上春樹なんかがそうなんでしょうかね。) 公房が亡くなって、もう十七年にもなるんですねー。 早いものだなーと思い、そしてその次になぜか僕は、「公房は、ベルリンの壁の崩壊やソ連邦の消滅を知っていたのかな」と思いました。 なぜそんなことを思いついたのか、僕自身よく分かりませんが、手がかりとしては「ベルリンの壁」→『壁―S・カルマ氏の犯罪』の連想が一つでしょうね。 もう一つは、ちょうど安部公房が僕の中で「大スター」だった頃、彼に並び立つ、日本が世界に誇る国際的な文学者といえば、その頃より少し前にセンセーショナルな死に方をした作家、そう、三島由紀夫ですね。 彼が西欧を中心によく読まれたのに対して、公房は東欧を中心に、特にソ連邦でよく読まれている作家であると、何かで読んだからであります。 そのソ連邦が崩壊してしまったことを、公房は知っていたのだろうか、と。 調べてみると、年譜上は明らかに知っていますね。年譜ではこうなっています。 1989年11月10日 東西ベルリン市民によるベルリンの壁の破壊開始 1991年12月25日 ソビエト連邦の解体 1992年12月25日 公房、執筆中脳内出血による意識障害、入院 1993年01月22日 公房、急性心不全のため死去 ギリギリご存じですよね。 この年譜を見ていて、誰もが奇妙な偶然に気がつくと思いますが、ソビエト連邦の解体として僕が挙げた日付は、ソ連大統領ゴルバチョフの辞任と連動する各連邦構成共和国の主権国家としての独立が発表された日のものですが、ちょうどその一年後に、公房は脳内出血を起こしていたんですねー。 もちろん、何の因果もない全くの偶然でありましょうがねー。 共産主義の「崩壊」について、筆者は、まー、もうすでに織り込み済みで、これといった感想なり、作品への反映はなかったかも知れませんが、ちょうどこの辺の時期というのは、安部公房の晩年の「苦渋期」でありました。 当時、「新潮社純文学特別書き下ろしシリーズ」という純文学文壇の「大ブランド」に、『砂の女』以降発表し続けていた公房氏ではありましたが、『密会』から『方舟さくら丸』へは何とか刊行していったものの、その次に作品については、かなり難航したようですね。 今となってはもうぼんやりとですが、新聞の広告欄に、結局刊行されなかった新作の広告が打たれたのを、僕は覚えています。 タイトルは(これも少しうろ覚えなんですが)、確か『志願囚人』ではなかったか、と。 僕は、おっ、いよいよ公房の新作かー、と期待しながらその刊行を待ったのですが、その実現はありませんでした。(いえ、公房の死がもう少し先にあったら、おそらく実現されたでしょうが。) そののち『カンガルー・ノート』が刊行されましたが、これは文芸誌への連載をまとめたものでありました。(でも、これも面白かったんですけれど。) さて、今回の読書報告の『笑う月』ですが、久しぶりに公房の文章を読んで、とても懐かしく、なるほどと思ったことがありました。 こんな事は、公房ファンには当然のことなのかも知れませんが、安部公房の小説展開はきわめて無機的なもののように見えますが、それを支える文体やイメージの発想と飛躍には、きわめてロマンティックのものが流れている、と。 それは少し大時代的に「科学的思考と浪漫主義の幸福なる虚構的結合」(あ、やっぱり大時代的すぎるかな)と、そんな風に感じました。 例えば、こんな文。 ゴミ捨て場から聞こえてくる悲鳴は、どうやら、ゴミを食う沼にくわえこまれ、咀嚼されはじめた「有用性」の叫びらしい。すくなくともぼくには、そんなふうに聞える。まだ自分がゴミそのものではないという自覚(もしくは幻想)が、かろうじて日常を支えてくれているシャボン玉の皮なのだ。そのシャボン玉の皮の上に、たぶん明日も、ぼくはなんとかゴミを食う沼の見取図を書きつづけることだろう。もしかするとゴミは砕かれた人間の伝説なのかもしれない。 最後の一文の「殺し文句」なんて、いかにも公房節って感じですよねー。 安部公房亡き後、僕はぼんやりと考えるのですが、このわめて魅力的でイメージの豊かな文章を紡ぎ出せる書き手は、どこにいるか。 うーん、どうでしょう、小説家ではありませんが、もはや養老孟司くらいじゃないですかね。特に、解剖学を一生懸命なさっていた「初期」の、養老先生。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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