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2010.07.24
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カテゴリ:大正期・白樺派

  『ドモ又の死』有島武郎(角川文庫)

 たまーに思う事があります。
 モーソー=妄想の一種でありますが、そもそもがそんな妄想的な人生を送っていますもので、そんなことをいろいろしょっちゅう考えているんですね。
 そんなモーソーの一つです。どんなことかと申しますと、仮に、近代日本文学史から自殺した作家の作品をみんな引き上げてしまったら、一体どうなるだろうか、かなり貧相な、寂しいものになってしまうかしら、ということであります。

 具体的に、私の好みのままに、ちょっと考えてみますね。
 まず、太宰治、いなくなりました。うーん、すでに冒頭のこの段階ですっごく寂しいです、私としては。でもまー、そういう「モーソー」ですから。
 三島由紀夫、いません。芥川龍之介、なしです。川端康成、消えました。有島武郎、アウト。

 ……と、ここまで書いてきましたが、近代日本文学史上の「文豪」的作家の自殺者は、はて、こんなものかしら。
 このあとは、「小粒」と言っちゃー失礼ではありますが、例えば、(大体古い順に)北村透谷・川上眉山・牧野伸一・原民喜・田中英光・加藤道夫・久保栄・江藤淳、あたりですかね、見落としている方もいらっしゃるとは思いますが。

 と考えると、案外、文学史全体が貧弱でどうしようもなくなると言うほどでもないことが分かりました。(だって、漱石も谷崎も残っていますよ。)
 そしてそれは、本当に第一級の才能は自殺しないという私の「持論」(というほどのことではない、単なる思いつきなんですがー)を裏付けてくれたように思います。

 ということで、私によって(!)第一級の才能ではないことを、はしなくも「証明」されてしまった有島武郎であります。(第一級の才能云々は冗談みたいなものですが、有島武郎の『或る女』は、第一級の小説であります。)

 本書は、戯曲集でありまして、以下の三つの戯曲が入っています。(収録順)

   『ドモ又の死』 (1922年・大正11年10月)
   『断橋』    (1923年・大正12年3月)
   『御柱』    (1921年・大正10年2月)
      (1923年・大正12年6月…有島武郎の心中自殺)

 この略年譜からも想像できますし、実際に読めば明らかなんですが、『断橋』という戯曲は死の三ヶ月前に書かれていますが、この作品は、ちょっと「キツイ」です。
 文学性が拡散されてしまっていて、独立した文学作品としては、ほとんど体をなしていないんじゃないでしょうか。

 自作の『或る女』を踏まえた登場人物が出てくるんですが、すでにそういった発想の中に創作力の行き詰まりが現れているようです。
 作家が、主立った自作品のサイド・ストーリーを書くってのはありそうですが(近年では、川上弘美が『センセイの鞄』のサイド・ストーリーを書いていましたが、あれはまー、読者サービスみたいなものですね)、過去の自作品の「世界観」に寄りかかるように新作を書くという姿勢に、すでに減退が見えそうに思えます。

 そして創作力の減退ということで言えば、作者の現実的な苦悩がストレートに作品に出過ぎていて(登場人物・高橋の設定も、やや不自然で安易な気がします)、これは例えば、太宰治が、見てくれも何もなく二日酔い的に志賀直哉に噛み付いた『如是我聞』について、坂口安吾が、これを発表してはだめだろうと書いた、ちょうどそれと同じような感じがするんですね。

 というわけで、『断橋』は辛かったです。
 しかし『ドモ又の死』、これはさすがに文学作品に昇華されていますよねー。
 これは例えば、プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』のような話であります。
 そもそもが、こういった将来を夢見つつ、貧しい現実生活の中でひたむきに芸術創作に励む若者たちの群像というのは、極めて高いロマン性がありますよね。

 とってもチャーミングな話だと思いました。
 そして、筆者・有島武郎は、どんなにこの「ドモ又」になりたかっただろうと思いましたね。
 きっと、晩年に向かって傾斜していく筆者にとって、一つの「ユートピア」のようなものが、この作品には描かれているのだろうと思いました。

 さて、自殺作家は二流と言わんばかりのことを、私は冒頭に書いてしまいましたが、当たり前のことではありますが人生に一流二流がないごとく、自殺作家とか、一流二流とかの分類が、文学にとって何の意味もないことは、私としても一応理解しているつもりでありますが……。


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Last updated  2010.07.24 06:15:26
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