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analog純文

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2010.08.14
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  『大石良雄』野上弥生子(岩波文庫)

 この『忠臣蔵』の主役の名前は、「おおいしよしお」ではなくて、「おおいしよしとも」と読むんだそうですね。
 そういえば、昔そんなことを読んだか聞いたことがあるような気もしますが、ともかくそんなことすらよく知らない私であります。

 そもそもいつの時代にも、その「時代=世代」の一般常識というものがあり、その世代から少しでもズレてしまうと、微妙にその一般常識が分からないと言うことがありますよね。だから一概に「私の無知」が原因であるとはいえないと(いや、お前の無知が原因だという声も、まー、多々ありましょうが)、とりあえずそうさせて下さい。

 とにかく、私の世代の少し上あたりで、この「忠臣蔵」とかの一般教養がぷつりと切れてしまっているように思います。
 私と致しましては、それは余り良くないと思いましたもので(例えば丸谷才一は、江戸時代から忠臣蔵を取り去ってしまうと、いかに江戸270年の歴史が平板なつまらないものになるか、という趣旨の文章を書いていました)、私なりに何冊か忠臣蔵関係本を読んだのですが、しかしそれでも、例えばこの「有名」な47人のプロフィールなどについても、私にはほとんど見えてきません。
 
 これは要するに、時代劇に対する「一般教養」ですかね。
 いやひょっとすると、演芸や浪曲、いわゆる大衆芸能的なものに対する一般教養の違いと言えるのかもしれませんね。
 多分私だけではないと思うのですが、例えば「清水の次郎長」や「国定忠治」について知っていることを述べよといわれると、もう私の知識は針の先程度のものでしかありません。

 一方で、これらの物語の内容・背景などについて、かなりの事をご存じの年齢層の方が確かにいらっしゃいますよね。

 もちろん、だからといって私は別に臆しはしないんですが、ただ、今回のような小説を読みますと、上記に書いた年齢層の人々は(そしてそれはおそらく、筆者が想定したであろう読者像だと思うのですが)、少なくとも私の五倍や十倍くらいの面白さをこの小説に味わうのだろうなと考えた時、我が身の無知を少し残念と思うばかりであります。

 さて、この小説はタイトルからも分かるように、「歴史小説」ですね。
 歴史小説について、かつて少しは考えたことがあるのですが(拙ブログの井上靖の項を御参照いただけるとありがたいです)、本作は大正十五年発表でありますが、その頃の一般的「忠臣蔵」知識は、私の持つ忠臣蔵知識状況とは異なって、虚実ない交ぜにしつつ現在で言うところの「マニア」を多く持っているような、そんな百花繚乱・百家争鳴的状況ではなかったでしょうか。

 例えば芥川の有名な短編小説などを筆頭に、少なくない小説家が、この「忠臣蔵」のサイドストーリーや二次創作を行っていたように思います。
 その中に、さらに打って出るというのは、筆者のどのような狙い、または自信なのかとつい考えるものであります。

 と言うことを案じつつ読んでみました。そして、結局ある程度の納得できる答えとしまして(内容は当たり前のものではありましょうが)、こんな風に考えてみました。

 歴史小説は、筆者の新しい歴史解釈(歴史人物解釈)を、些末な日常的レベルで統一した虚構世界を通して差し出すことができた時、可能となる、と。

 うーん、極めて当たり前すぎる「定義」ですかねー。
 例えば本書のこんな部分。ここは、芥川の短編にも取りあげられていた、仇討ちを控えた大石良雄が、派手に茶屋遊びをしたことを述べている部分です。

 妻のくり子は時々そんな皮肉を云つた。これも三分の一ぐらゐは事実であつた。而かも現在の内蔵之助に取つては茶屋の灯や、美しい女たちの顔や、彼等の若い陽気な笑ひ声は、庭の向うの山々や、朗らかな春日や、庭いぢりや、瑞々しい牡丹の芽や、これ等のものと反撥しなかつたのみならず、彼の心を、自由な拘束のない楽しみの中に容易に誘ひ込んで呉れる点で、同一の価値であり、何等矛盾のない魅力であつた。生理的にだけ云つても、彼は女色に対して、青年期の熱情よりは却つて危険な、而して更に防御力の弱い年齢に達してゐた。現在の事情が遊ぶのに都合よく出来てゐたのも、一つの原因でないことはなかつた。内蔵之助には浪人の閑散と金があつた。
 
 特に後半などは、明らかに筆者独自の解釈でありますが、このような、日常的なごく細かい出来事を解釈したものを積み重ねていった結果、統合された野上弥生子的大石良雄像が現出するわけでありますね。

 野上弥生子については、私はさほど多くの小説を読んでいるわけではありません。
 しかし例えば『秀吉と利休』のあの緻密な文体と同様のもので、本作も、歴史人物に対する野上的解釈の日常的裏付けが、一つ一つ丁寧になされており、そしてそれが、堅牢なリアリティと説得力を持つ、存在感の強い小説世界を形成しているのだと、私は思ったのでありました。


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Last updated  2023.07.16 17:52:01
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