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2010.08.25
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カテゴリ:明治期・耽美主義

  『人魚の嘆き・魔術師』谷崎潤一郎(中公文庫)

 例えば「美は細部に宿る」と言ったのは、三島由紀夫ではなかったかと思うのですが、このフレーズを初めて読んだ時、私は全くもってその通りだと感心・納得したような気がします。
 しかし、よく考えてみると、具体的にこのフレーズは何を言っているのでしょうか。

 いえ、何となく、感覚的には分かるような気がするんですね。
 しかし、今回のような作品を読むと、「美」は本当に細部に宿るのかということについて、どうも具体的に指摘しきれないような気がします。

 両側に櫛比している見世物小屋は、近づいて行くと更に仰山な、更に殺風景な、奇想的なものでした。極めて荒唐無稽な場面を、けばけばしい絵の具で、忌憚なく描いてある活動写真の看板や、建築毎に独特な、何とも云えない不愉快な色で、強烈に塗りこくられたペンキの匂や、客寄せに使う旗、幟、人形、楽隊、仮装行列の混乱と放埒や、それ等を一々詳細に記述したら、恐らく読者は悄然として眼を覆うかも知れません。私があれを見た時の感じを、一言にして云えば、其処には妙齢の女の顔が、腫物のために膿ただれているような、美しさと醜さとの奇抜な融合があるのです。真直ぐなもの、真ん圓なもの、平なもの、--凡て正しい形を有する物体の世界を、凹面鏡や凸面鏡に映して見るような、不規則と滑稽と胸悪さとが織り交っているのです。正直をいうと、私は其処を歩いているうちに、底知れぬ恐怖と不安とを覚えて、幾度か踵を回そうとしたくらいでした。

 まぁ、改めてこんなことを考えてもあまり意味は無いとも思いつつ、この文章に「美」は宿っているか、と考えてみます。

 当たり前だけれど、「指摘」できないですわね。
 いや、指摘できないんじゃなくて、そもそもこんな文章には「美」なんて宿っていないとも考えられます。
 でもそう言ってしまうと、谷崎の文章自体に美は宿ってはいないのだ、むしろ宿っていそうなのは、例えばそう、森鴎外などの文章ではないか、と。
 なるほどそんな気も、しないではないように思います。

 上記の引用文にも散らばっている「けばけばしい絵の具」「ペンキの匂」「不愉快な色」「奇抜な融合」「不規則と滑稽と胸悪さ」等々の表現、これは単に、お話の中に出てくる「見世物小屋」の描写だけではないのかも知れません。

 しかし、例えば永井荷風によって絶賛された『刺青』、この初期の傑作なんかには、もう少しくっきりとした「美」が宿っていたように思うんですが……。

 晩年の谷崎潤一郎は、過去の自らの作品について、特に中期の作品をかなり嫌っていました。自選全集を作った時も、自分が死んだ後もどうかこれ以上の作品は掘り返さないで欲しいといった主旨の文章を書いていたように思います。
 (ついでの話ですが、もちろん谷崎のこの願いは、死後見事に裏切られてしまいます。コワイもんですねー。)

 こうして読んでみますと、やはり中期の谷崎作品のテーマは、「デカダンスの美」とでもいうものでしょうかね。今回紹介の二作品のテーマも明らかにこれであります。

 しかしこういったデカダンスの美に伴う「頽廃感覚」は、どうも色褪せるのが速いように思えますね。
 そもそもが、感覚の極々表層に漂っているようなものだからでしょうかね。
 あたかも、祭や縁日の夜の喧噪のように、翌日の陽の光の許では、みすぼらしいような淋しい姿を晒してしまいます。
 時代という名の祝祭が終わった時、時代風俗に託して描かれることの多いデカダンスの美は、剥げたメッキのような姿を現してしまいます。

 いえ、それは少し言いすぎでありましょう。
 仮にも谷崎の筆力は、剥げたメッキに喩えられて可とするものではありません。
 現在読んでも、一文一文には筆者の刻苦のあとが見られ、才能の片鱗を充分に伺わせてくれます。しかしただ、その刻まれた絢爛豪華な文章は、私たちの美意識に力強く迫ってくるものとは、微妙に異なっているように思えてしまいます。

 晩年、自らの美意識と作品について大きく軌道修正を果たした筆者は、この先、自らが歴史の名の下に裁かれる「巨人」であることがわかっている故に、この苦渋の時期の作品を継子のように嫌ったのでありましょうか。

 しかしいずれそれは、与り知らぬ天才の悩みであります。
 私たち凡人の享受者は、この作者に嫌われた不思議な少し古くさい美意識にも、何ともいえないノスタルジックな魅力を、今でも、そしてきっとこれからも、大いに感じ続けることでありましょう。


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Last updated  2010.08.25 07:31:04
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