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analog純文

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2010.09.01
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  『安愚楽鍋』仮名垣魯文(岩波文庫)

 以前よりこの時期、つまり、明治維新以降で、坪内逍遥の『小説神髄』『当世書生気質』または二葉亭四迷の『浮雲』出版以前の時期ということですが、この時期の小説を読みたいものだとは、ちょっとだけ、しかし割と長くしつこく思っていました。

 しかし、なかなかその機会に恵まれなかったんですね(って、書くと己は「被害者」のように聞こえるんですが、そんなわけでもありませんが、まぁ)。
 その理由は二つです。

 一つ目は、本ブログの基本的なコンセプトのことであります。
 私は、一報告につき一冊の本(上下巻とか分冊になる場合は、両巻で一応「一冊」)、できたらそれは文庫本で、そしてその本全部を読んだ上で、ブログに取りあげるということを考えています。
 実際に報告する小説が、短篇集の中の一編でしかなくっても、であります。

 なぜ一冊の本に拘るのかというと、これを一作品という単位にしてしまうと、分量の多寡にかなり違いが生まれすぎると思ったんですね、始めは。
 しかしそうは言っても、例えば有島武郎の『或る女』と同作者の『宣言』とでは、同じ一冊の文庫本とはいえページ数が違いすぎるという「問題」は依然存在します。

 しかししかし、我々が「最近本読んだ?」とか「10冊の本を読んだよ」とか言う時、普通ページ数の多い少ないまでは問わないですよね。「君の読んだあの本は70ページしかないから、0.5冊だな」とか言いませんよね。
 まー、それくらいのアバウトな「基本方針」ということであります。

 ついでに、その本がなぜ文庫本かということにつきましては、実は細かい理由はあれこれありますが(値段や本の大きさ)、基本的には「趣味」ですかね。
 私は文庫本が好きなのであります。

 それを踏まえた冒頭の状況の一つ目の理由は、「その時期の文庫本が、現在はなかなか出回っていない。」ということであります。

 しかし、まー、当たり前でしょうなー。
 こんなストライクゾーンの極端に狭い「好み」に、出版社が対応してくれるわけがありません。(恐らく唯一、私の好みに一部対応をしてくれているのが「売れ筋外し」の岩波文庫です。誠に有り難い出版社であります)。

 次二つ目の理由ですが、これは簡単(かつ致命的)。
 私に、言文一致以前の文章を自由に読みこなす国語力が欠けているせいであります。
 例えば上記に私がお褒め申し上げました岩波文庫ですが、現在でも新品で坪内逍遥の『小説神髄』を出版されています。
 しかしこれが、わたくし本屋で手にとって少しだけ読んでみましたが、評論で長くって言文一致以前でさっぱり分からない。うーん。

 ということで今回は、「恐いもの見たさ」の興味のようにして本書を読んでみました。
 (ちょっと前置きが長くなりすぎてしまって申し訳ありません。)

 出版は明治四~五年であります。明治初年の文明開化の風俗を、同じく開化期の風俗の一つである、牛鍋屋に集うお客を通して描くと言うものです。
 しかし、そこに積極的なストーリーの展開はありません。坪内逍遥の『当世書生気質』とよく似た文体を取りながらも、違うのがこのへんなんですね(そしてこの違いが新旧「文学」の決定的な違いであります)。
 なかなか鋭い描写力を持ちながらも、作品に構造的な深まりが無く、皮相な風刺だけにとどまっています。

 しかし、合計二十人ほどの牛鍋屋の客を、始めに着物や外見について描き、次に牛鍋を食べながらの独白を描き(複数名で来ている客であっても、会話はなぜか少ないです。少し不思議ですね。)、それを通して人物の性格を浮かび上がらせるというこの形式は、実は結構面白いです。
 モノローグ描写がとても上手なんですね。

 読みながら思ったのですが、これを直接の影響関係とまでは考えませんが、漱石の『猫』の中の幾つかの場面、例えば水島寒月の「首くくりの力学」だとか「ヴァイオリンを買う話」だとか、猫の中でもかなり面白い場面には、やはり本書にも見られるような、いわば江戸期の戯作の伝統が、魯文を通って、漱石まで途切れずに続いていると感じました。

 この岩波文庫には、冒頭に解説文が書かれてあるのですが(岩波古典大系のパターンですね)、その中に、魯文が新時代に相応しい独創性を持てなかった原因の一つとして、「時すでに初老の域に入っていた」事を挙げています。

 おそらく私の想像力が乏しいせいでしょうが、何となくみんな一緒によーいドンで、明治維新に突入したというような、考えればあり得ない浅はかな感覚的理解を私はしていまして、なるほどこういう「当たり前」の指摘は、やはり研究者の指摘としてとても有り難いものだと思いました。

 もしも魯文が、「青雲の志」に燃えた十八才の時に明治維新に出会っていたならば、ひょっとしたら、二葉亭のじゃない別の『浮雲』を書いたかも知れないんですよね。
 魯文もやはり、「大作家」だったのかも知れませんよね。


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Last updated  2010.09.01 06:36:11
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