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2010.09.15
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カテゴリ:明治期・明治末期

  『隣の嫁・春の潮』伊藤左千夫(角川文庫)

 そもそも「恋愛小説」というものを、私はあまり読んでいません。
 ……いえ、この言い方は、ちょっと違うかも知れませんね。

 例えば漱石の「前期三部作」、あれは恋愛小説なんでしょうかね。
 あれが恋愛小説なら(というかよく考えてみれば、三作の内少なくとも『それから』は恋愛小説ですよねー。テーマとしても、まー、普通そう理解しますわねー。)、私は恋愛小説の類をあまり読んでいないとはいえません。漱石はフェイヴァレットであります。

 「恋愛小説」と本の帯に銘打っていた小説に、村上春樹の『ノルウェイの森』がありますね。あの小説も、私は再三愛読させていただきました。
 今ふっと思い出したんですが、中河与一『天の夕顔』ってのもありました。本ブログでも取り上げています。あれもあっけらかんとした恋愛小説であったという記憶があります。

 とすれば、私は恋愛小説をあまり読んでいないのではなくて、どういった本が恋愛小説なのか、よく分かっていないと言うだけのことでありますかね。

 なるほど。考えてみたら、漱石がフェイヴァレットな作家であると言っておきながら、恋愛小説をあまり読まないもないものだという気がしてきました。
 漱石の小説は、全編三角関係小説だという説もあるほどでありますのに。(全編ホモセクシュアル小説だという説もありましたっけ。)

 さて伊藤左千夫であります。
 『野菊の墓』のみが人口に膾炙され、まー、「一発屋」といって一概に誤りといえない気のする作家であります。
 (でも、歌人としての業績は、なかなかのものがあるようです。小説家でだめでも他の文芸においては第一人者という人は、石川啄木とか高浜虚子とか、結構いらっしゃいますものね。伊藤左千夫は「一発屋」でもましな方です。)

 その『野菊の墓』は、なんかのほほんとした「ノー天気小説」という感じでしたが、今回の二作品も同様でありました。
 これがこの人の小説の「個性」なんでしょうね。何をとぼけたことを書いているのだと思わないでもないですが、これはこれで、私としては、今読んでもなかなか味があると感じました。
 基本的に、健康的な田園小説であり純朴な恋愛(性欲)を描いています。

 タイトル通りの二小説が収録されているんですが、内容としても繋がっています。『春の潮』は『続・隣の嫁』です。
 『隣の嫁』の方が純朴で、作品中に詩情が流れており、なかなかキュートな一作です。
 一方『春の潮』は、やや通俗性に流れ、描かれるエピソードも人物描写も類型的な気がしないでもありません。でも今読み直してみると、そんなあたりがみんな時代のパロディのように読めて、私としてはとてもユーモラスな作品と読んだんですが、ただそれは作者が企んだ効果なのか、……うーん、たぶん違うでしょうね。

 でも娘「おとよ」の望まぬ結婚話を勝手に進めて、こんな事を娘に喋る「頑固親父」は、今ではパロディ以外には読めないでしょう。

 「おとよ……お前の胸はお千代から聞いて、すつかり解つた。親の許さぬ男と固い約束のあることも判つた。お前の料簡は十分に判つたけれど、よく聞けおとよ……ここにかうして並んでる二人は、お前を産んでお前を今日まで育てた親だぞ。お前の料簡にすると両親は子を育てても其の子の夫定には口出しが出来ないと言ふことになるが、そんな事は西洋にも天竺にもあんめい。そりや親だも、可愛子の望みとあれば出来ることなら望みを遂げさしてやりたい。かうしてお前を泣かせるのも決して親自身の為でなく皆お前の行末思うての事だ。えいか、親の考へだから必ずえいとは限らんが、親は年をとつていろいろ経験がある、お前は賢くても若い。それで我子の思ふやうに許りさせないのは、これも親として一つの義務だ。省作だつて悪い男ではあんめい、悪い男ではあんめいけど、向うも出る人おまへも出る人、事が始めから無理だ。許すに許されない二人の内所事だ。いはば親の許さぬ淫奔といふものでないか、えいか」
 おとよは此時はらはらと涙を膝の上に落した。涙の顔を拭はうともせず、唇を固く結んで頭を下げてゐる。母も可愛さうになつて眼は潤んでゐる。


 「向うも出る人おまへも出る人」というのは、「おとよ」も嫁として家を出てゆくべき女で、相手の「省作」も次男故養子に出るべき男だという意味であります。
 しかしこんな読みは、作品の成立時代を無視した邪道なんでしょうが、今となっては笑う以外に反応しようのない理論でありますなー、失礼ながら。

 というわけで、この二小説は、いかにも『野菊の墓』の作家の作品らしい、私としては、読んでいてとても楽しいものでありました。
 いえ、やはりそんな感想自体が失礼なのだという気はしないでもありませんが、その時代には高評価をされていても、今読めば作家の変なプライドや無理解や無教養のせいで、いやーな読後感の残る小説がいかに多いことかを考えれば、この二作品は、筆者の人柄の賜物といってもいいような「珠玉小説」だと、私は思うのでありました。


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Last updated  2010.09.15 06:41:29
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