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カテゴリ:明治期・明治末期
『犬』中勘助(岩波文庫) えーっと、あんまり良くない喩えでー(いや、めちゃめちゃよくない喩え、かな)、犯罪事件報道なんかで、犯人の人柄を知らせるために、例えば犯人の住居の近所に住んでいた人とか、学生時代の同級生なんかにインタビューしている場面、見たことありますよねー。 「こんな凄い犯罪を起こしたんですぅ」なんてことをインタビュアーが言うと、 「えー、とってもそんな人には見えなかったですぅ。道で会ってもきっちり挨拶をする礼儀正しい方だと思っていましたのにぃ。」なんて答えが返ってきたりします。 えーっと、中勘助って、そんな人ですぅ。(おーい、中勘助は犯罪者と違うやろー!) えっ? そうでしたかね。 だって中勘助と言えば、日本文学の奇蹟のような、あの岩波文庫が天下に誇る珠玉作『銀の匙』の作者ですよ。 純朴で純粋で品行方正で真面目で、ピュアをそのまま絵に描いたような作家ではありませんか。 いえ、そんな人に限ってねー、実はこんな「えげつない」作品を、しこしここっそりと書いてるもんですわ。(えっと、本作は別にこっそりと書かれていたものではありませんがー。) いえいえ、『犬』は、このくらい書かねばバランスが取りきれないような、そんな強烈な「衝撃作」であります。 時代は西暦千年、舞台は印度。年老いた醜い修行僧(聖者)が、若い娘を騙してレイプします。 実は娘はその前に、回教徒の軍人に同じようにレイプされたのですが、こちらの男の方は若く美男子でもあり、確かに切っ掛けはレイプだったとはいえ、娘にそれなりの優しさも示し、娘はほのかな恋心を抱き始めていた時でした。 娘をレイプした直後の、醜い修行僧(聖者)の独白場面には、吐き気を催しそうな論理展開が描かれています。 聖者は手さぐりに燈明へ油をさして火をともした。娘はまだ喪神している。ただ前とは姿勢がちがっていた。彼ははじめて女の味を知った。彼は今弄んだばかりの女のだらしなく横たわった体を意地汚くしげしげと眺めてその味を反芻した。そして今までとは際立ってちがった一種別の愛着、性慾的感覚にもとづくところの根深い愛着を覚えた。彼は嬉しかった。たまらなかった。で、蜘蛛猿みたいに黒長い腕を頭のうえへあげて女のまわりをふらふらと踊りまわった。 「わしはもうなにもいらぬ。わしはもう苦行なぞはすまい。なにもかも幻想じゃった。これほどの楽しみとは知らなんだ。罰もあたれ。地獄へも堕ちよ。わしはもうこの娘を離すことはできぬ」 「それにしてもわしは年よっている。そうして醜い。これからさきこの娘はわしと楽しんでくれるじゃろうか。いやいや、とてもかなわぬことじゃ。ああ、わしはあの男のように若う美しうなりたい。そうしたら娘も喜んで身をまかせてくれるじゃろうに」 彼は醜悪ではあるが悲痛な様子をした。 「そういうめにあってみたい。一日でもええ。ただの一遍でもええ。おお、なんたらうまそうな身体じゃあろ」 そこで身をかがめていいきかせるようにいった。 「これ娘、わしはどうでもそなたをはなしはせぬぞよ」 「わしはこの娘をひとにとられぬようにせにゃならぬ。若い男はいくらもおる。ああ」 彼は悶えた。泣きだしそうな顔をした。そして久しいこと思案してたが終になにか思い浮んだらしくひとりうなづいた。 「そうじゃ。わしはこれの姿をかえてしまおう。ふびんじゃがしかたがない。わしらは畜生になって添いとげるまでじゃ。よもやまことの畜生に見かえられもすまい。若い男も寄りつかぬじゃあろ」 彼はそっと娘を抱き起こして藁床のうえにうつ伏せにねかした。そして上からしっかりとかじりついて猫のつがうような恰好をした。それから娘の頸窩の毛をぐわっとくわえながら怪しい呪文を唱えはじめた。と、尖った耳の生えた大きな影法師がぼんやりと映った。そしてすーっと消えた。それと同時に彼の五体が気味悪く痙攣しだした。 と、まぁ、こんな描写なんですがね。 難儀なことにとっても上手な描写で、何よりもっとも厄介なことは、私の心の中にもこんな「醜悪ではあるが悲痛な様子をした破戒僧」が「泣きだしそうな顔」で確かにいると、つい気付かせてしまうそんな「邪悪な」リアリティが、全編に満ちあふれていることなんですよねー。 うーん、誠に困った小説であります。 この後、修行僧と娘は犬になってしまいます。 人間の持つ性欲の存在を(男の性欲の存在といってもいいのでしょうか)、ただ存在するということだけでこれほど醜悪に描かれてしまうと、しかし男には立つ瀬がないだろうと愕然と思ってしまう、そんな名作=衝撃作でありました。 ひょっとしたら古人はこんな時に、こんな言い回しを使ったのかも知れません。 「君子危うきに近寄らず」 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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