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2010.10.13
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カテゴリ:昭和期・中間小説

  『小説日本芸譚』松本清張(新潮文庫)

 確か、去年が松本清張生誕100周年でした。
 同年の100周年でもっとも華やかだったのは、おそらく太宰治だったろうと思いますが、松本清張もきっといろんなところで「松本清張展」の類をしていましたよね。そのうちの一つに、私も見に行きましたから。

 にもかかわらず、実は私はほぼ松本清張は読んだことがありませんでした。
 昔、それこそ大昔に、確か『点と線』を読んだきりであります。

 なぜ、松本清張をほぼ私は読まなかったのだろうと考えると、なんと言いますか、一人の作家を愛読するしないの分水嶺は、極めていい加減なものであることに思い至ります。それはほとんど、「愚かさを伴う偶然」としか言いようのないものであります。

 もちろん、人生というものがそういうものだと言ってしまえば、そうですものね。
 「人生とは愚かさを伴う偶然の集大成である」と。
 それに比べれば、愛読する作家かどうかなんて事は、極めて些細な出来事であります。

 で、私がほぼ松本清張を今まで読んでこなかった理由はといいますと、これがまー、いい加減極まるんですが、思い当たるのは多分こんな事でしょうか。

 つまり、わたしは松本清張より先に金田一耕助が好きになってしまった、と。

 これは、日本の近代推理小説史に詳しい方ならすぐに分かると思われる言い回しのつもりなんですが(私自身は推理小説史に詳しいわけでは全然ないんですが)、えーっと、簡単に私なりのバイアスの掛かった説明をしてみますね。

 第二次大戦後、いち早く売れ始めた横溝正史的「浪漫主義的」推理小説は、昭和30年代に入って一度息の根を完全に止められてしまいます。
 あのおどろおどろしさが「荒唐無稽」だって事でしょうね。

 そしてその息の根を止めたのが、松本清張などの描いた「現実主義的」社会派推理小説だったわけです。社会正義とかを伴ったリアリズムで現代を描く推理小説ですね。
 今考えると、「政治の時代」の黎明期だったせいでしょうね。

 えー、そこから先は完全の私の偏見なわけで、一時的とはいえ私の愛する金田一耕助様を葬った松本清張一派は許し難い、と。社会派推理小説など読んでやるものか、と。
 まー、そんなところでしょうかねー。まったく、愚かしーですなー。

 さてこの度、二冊目の松本清張小説を読みました。
 しかし、え、なかなか、地味そうな文章ですね。
 およそ「衒い」とか「ハッタリ」とは縁のなさそうな、もう少し突っ込んで言えば「キレ」とか「冴え」の見られそうもない、しかしそのぶん、極めて誠実そうな感じのする文章であるなと、そんな第一印象を持ちました。

 本書は、芸術家小説であります。
 運慶・世阿弥・千利休・小堀遠州・写楽など十名の歴史上の芸術家を描いた連作短編集になっています。

 芸術家を描く小説というものは大体二種類のパターンがあるように思います。
 一つ目は小説の形を取りながらその芸術家・芸術を評価するというもの。描かれるエピソードや描き方で評価が浮かび上がって来るという、まぁ評伝・評論の「一変種」ともいえましょうか、芥川龍之介あたりが得意としましたね。

 二つ目は、小説で描く芸術家を自分の分身にしてしまうというもの。
 これは少々荒っぽそうですが、私の読んだ範囲では、武者小路実篤がこのタイプの芸術家小説を書いていたように思います。
 やや「ノー天気」の感は否めませんが(武者小路故でしょうか)、何となく諧謔味の漂うほんわかムード小説だったような記憶があります。

 で、本作はと言いますと前者かなとは思いますが、それはそうとしつつ、十作ある連作中、半分ぐらいまでがどうも面白くないんですよねー。
 文章に「ハッタリ」がなくて解釈にも「キレ」がないという、ひたすら地味ーに進んでいきました。

 ところが終盤の幾つか、「小堀遠州」「光悦」「写楽」あたりになって、やっと面白さが見えてきました、わたくしとしては。
 典型的なのは「写楽」と「光悦」だと思いますが、写楽を描いた短編には、小説らしい視点と小説らしい(直接的にはテーマと関わらない)描写が表れてきたからだと思います。

 当たり前ですが、評論とは違って小説は、ほとんど役に立たないように見えるエピソードや描写の総体として成立します。しかしこのエピソードや描写こそが作品の生命線なわけですね。「写楽」の話にはそれが、とてもうまく描かれていると思いました。

 一方「光悦」のほうは、芸術に取り憑かれたものとしての光悦の一面を描く作者の解釈に「キレ」が見られたように思いました。
 自らの芸術が本物であるかどうか、他人は欺けても、自らに対しては欺きようがないという表現者の根元的な「不幸」(あるいは「幸福」と言い換えてもいいでしょう)を、作品終盤にさらりと定着させました。
 これはなかなか秀逸だと感じました。

 というわけで、わたくしこの年になってやっと二冊目を読んだ松本清張小説ですが、全く何事においても、つくづく偏見はよくないものでありますよねー。
 いや、「尾籠(おこ)の後智恵」でありましょうが。


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Last updated  2010.10.13 06:42:39
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