【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

近代日本文学史メジャーのマイナー

近代日本文学史メジャーのマイナー

Calendar

Archives

Recent Posts

Freepage List

Category

Profile

analog純文

analog純文

全て | カテゴリ未分類 | 明治期・反自然漱石 | 大正期・白樺派 | 明治期・写実主義 | 昭和期・歴史小説 | 平成期・平成期作家 | 昭和期・後半男性 | 昭和期・一次戦後派 | 昭和期・三十年男性 | 昭和期・プロ文学 | 大正期・私小説 | 明治期・耽美主義 | 明治期・明治末期 | 昭和期・内向の世代 | 昭和期・昭和十年代 | 明治期・浪漫主義 | 昭和期・第三の新人 | 大正期・大正期全般 | 昭和期・新感覚派 | 昭和~・評論家 | 昭和期・新戯作派 | 昭和期・二次戦後派 | 昭和期・三十年女性 | 昭和期・後半女性 | 昭和期・中間小説 | 昭和期・新興芸術派 | 昭和期・新心理主義 | 明治期・自然主義 | 昭和期・転向文学 | 昭和期・他の芸術派 | 明治~・詩歌俳人 | 明治期・反自然鴎外 | 明治~・劇作家 | 大正期・新現実主義 | 明治期・開化過渡期 | 令和期・令和期作家
2010.11.13
XML

  『阿修羅ガール』舞城王太郎(新潮文庫)

 ……うーむ。
 いえ、長く「呆けた」ような小説ばかり、例えば文明開化の明治時代に牛鍋屋で酔っぱらっている男の話とか、コキュになってあわてふためく男の話とか、そんなのばかり読んでいたもので、現代文学がどんなところに来ているかとんと分からなかったもので、今回、冒頭のような小説を読みますと、その小説の客観的評価とは別のところで、実際あれこれと考えることがあるものですねー。

 まず、少し前に、こんな小説を読みました。

  『君が代は千代に八千代に』高橋源一郎(文春文庫)

 この作家は我がフェイバレットですので、いろいろと面白かったんですが、今回私がちょっと「うーむ」と考え込んだのは、「肉体のアブノーマルな改造」についてであります。

 少し前に、蛇を踏んだり、背中蹴ったりという小説が流行りましたよね。

 ……えー、すみません。混乱いたしておりました。
 『蛇を踏む』は川上弘美の芥川賞受賞作で、これはちょっと前ではなくて、だいぶ前の作品です。『蹴りたい背中』というのは綿矢りさの芥川賞受賞作で、私の言いたかったのは、この綿矢りさと同時受賞した小説のことが言いたかったんです。金原ひとみの『蛇にピアス』ですね。

 この作品にも、「肉体のアブノーマルな改造」が描かれ、少し流行りましたよね。
 って、別に、舌の先を二股に分けてそれにピアスするのが流行ったわけではありません(と、思うんですがー)。
 確か、この小説の書評の一つに、「現代日本の若者は、とうとう自らの肉体からの自由を手に入れようとしている」うんぬんとあったのを読んだように記憶します。実はこの小説を読んだ読後感と、同種のものがあるように感じるんですねー。

 上記に、高橋源一郎の作品に触れましたが、この作家は十数年前(前世紀末頃ですね)AV界にかなりのめり込んだ小説・評論等を書いているんですね。
 この世界は、かなり強烈なものであるようで、そもそもセックスを人前でさらすわけだから、もう、隠すべきもの、控えるべきものが何もなくなってしまうんですね。

 そうなると何が起こるか。
 そこに残ってくるのは、果てしのない理性の拡散、理性の溶解。具体的に言えば、吐き気を催すような鬼畜ドラマ(排泄物の摂取・肉体の改造・倒錯・暴力・フリークスへの好奇等)なわけです。
 ……うーむ。

 さて、冒頭の舞城王太郎の小説にやっと戻ります。

 去年? 一昨年? の芥川賞を取り損なった人ですね。でもこの作品で三島賞を受賞しています。確かもう十年近く前です。
 しかし私には結構つらい読書(いえ、読みにくさはどこにもありません。すらすら読めます)でした。

 まず女子高生一人称文体。これについては、かつて太宰治あり、橋本治ありで、違和感はありません。むしろ、長編小説のほとんどをこの文体で書ききっているところからも、作者はかなり自信があったのだろうと思え、なるほど納得できる出来映えだと思います。少なくとも、文章は、手練れであります。

 次にストーリー。冒頭、好きでもない男とのセックスが描かれ、続いて女子高生同士のケンカ(「シメる」「ボコる」)が描かれます。この辺は前述の文体とも相まって非常に生き生きと書かれるのですが、その後、ちょうどこれも以前流行った『バトルロワイヤル』みたいな、中高生のゲーム的殺戮に話は移っていきます。この辺からなんですね、読んでいて私にはつらくなってきたのは。

 村上春樹の『海辺のカフカ』の中に、ジョニーウォーカーという、いわゆる世界の中の「悪意」を代表したような人物が出てきて、生きたままの猫の心臓を食べるというシーンがあったりします。

 (これも閑話ですが、あれこれ考えてみると、猫に対する「狂気的」行為って、いろんな小説に描かれていたことが思い出されます。松浦理英子の『親指Pの…』にもそんなビデオの話しがありましたし、三島由紀夫の『午後の曳航』にも猫殺しの場面がありましたし、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』にも猫の残酷エピソードが触れられていました。猫と残酷さって、何か引き合うものがありそうな気がしますね。)

 実はそんな、得体の知れない「悪意」の固まりが、現代文学の中のいろんなシーンに点在していて、そしてどうもそれを描くことに一種の新しさがあると評価されているようであることに、私は、ちょっとつらさを感じるんですねー。

 もちろん、実際にあるものを書いてみるところから始めなければ話にならないことは分かるんですが、ちょうど「肉体のアブノーマルな改造」が同様な感じなんですね。

 例えば、サドの作品を通して自由の意味を探る、というのは分からないではないですよね。精神の自由は文学の重要なテーマであります。
 本作も同じなんでしょうか。
 しかし、本当に、こんな風に書かねばならないのでしょうか(例えばこの作品内に何回「死ね」というフレーズが出てきたでしょうか)。

 現代社会の闇は、そんな大変なところまで来ているのだと、紋切り型にまとめてしまうこともできるのでしょうが、作品そのものの評価とは別のところで、私は、私の個人的読書生活についての異議みたいなものも含め、何かを突きつけられたような気がしたのでありました。
 ……うーむ。


 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓

 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.11.13 09:45:31
コメント(0) | コメントを書く
[平成期・平成期作家] カテゴリの最新記事


PR

Favorite Blog

徘徊日記 2024年10… シマクマ君さん

やっぱり読書 おい… ばあチャルさん

Comments

analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
今猿人@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03) この件は、私よく覚えておりますよ。何故…

© Rakuten Group, Inc.