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2010.12.29
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カテゴリ:昭和期・中間小説

  『雁の寺・越前竹人形』水上勉(新潮文庫)

 この文庫本には、上記タイトルからも分かるように、二つの小説が収録されています。『雁の寺』は直木賞受賞作です。
 しかしここだけの話ですが(って、ブログに「ここだけの話」って意味ないですがー)、めちゃめちゃ暗い話ですねー。

 そもそも私は、この筆者の本もあまり読んだことがありません。
 昔、戯曲『ブンナよ、木からおりてこい』ってのを何かの拍子に読んだような気がするんですが、あまり内容を覚えていません。

 だから、この筆者の作品が、ほぼ「常時」暗いのかどうかについては判断ができませんが、少なくとも今回の二作品は、とってもとっても暗いです。

 なぜこんなに暗いのかというと、まー、これらの作品が「人生の孤独」を描いているからですね。しかし、「人生の孤独」を描くというなら、ほとんどの文学作品が描くところでありましょう。
 例えば、はやりの村上春樹なんか、いえもっと限定して例示しますと『ノルウェイの森』なんかも、「人生の孤独」を描いた作品でありましょう。
 しかし、『ノルウェイ…』は、さほど暗くは、たぶん、少なくともトータルな読後感としては、ありませんよね。

 結局この暗さはどこから出ているかと考えますと、それは肉体的ハンディキャップを書いているからじゃないでしょうか。

 もちろん肉体にまつわる劣等感が、個人の人格形成に大きな影響を与えることは考えられるのですが、うーん、なんというのか、そういったアプローチからは、いわゆる普遍的な「人生の孤独」には、到達しにくいような気がします。(ちょっと、誤解を生みそうな表現になっていますかね。)

 『雁の寺』に出てくる「小僧・慈念」は、「頭が大きく、躯が小さく、片輪のようにいびつ」な少年と描かれています。さらに彼は非人間的に厳しい修行を課せられる中で、極めて孤独な少年となっていきます。(この辺、併せて仏教界の腐敗が描かれるのですが、これが変なリアリズムを持って、気分悪くも面白いところではありますが。)
 その慈念が、一人で寺庭の池端にじっと立っているのを、寺の住職の愛人・里子が陰から覗くという場面です。

 里子は慈念が何をみているのか気になった。池の鯉かと思った。と、とつぜん、慈念は掌を頭の上にふりあげたと思うと、水面に向ってハッシと何か投げつけた。鉢頭がぐらりとゆれて、一点を凝視している。里子もしゃがんだ。廊下から池の面を遠目にみつめた。瞬間、里子はあッと声を立てそうになった。灰色の鯉が、背中に竹小刀をつきさされて水を切って泳いでいくのだ。ヒシの葉が竹小刀にかきわけられ、水すましがとび散った。それは尺余もある大きなシマ鯉であった。突きさされた背中から赤い血が出ていた。血は水面に毛糸をうかべたように線になって走った。
 里子は、慈念を叱りつけようと思ったがやめた。
〈こわい子や。何するかわからん子や〉
 里子は廊下をそっと本堂の横にそれ、隠寮にもどった。


 慈念の殺人に至る動機について、それを「孤独」のみでやっつけてしまうには、少し書き込み不足のような気がします。
 そこで上記のような「人格のゆがみ」が描かれます。(途中に出てくる「鳶の巣穴」のグロテスクさは、この慈念の人格や心理を象徴するように描かれ、少し面白くもあり、しかしよく考えれば、餌の貯蔵庫である「鳶の巣穴」の中でうごめく瀕死の小動物というのは、「食」という生物の本能についての話と集約することもできます。)

 しかし終盤、寺のお堂の縁の下から慈念がひもじさの余りこっそり食べた鯉の骨が多く出てくるに至って、慈念の鯉殺しの行動は単なる「食」の話になってしまい、上記の引用部から読める、人格のゆがみによる「迫力」が薄められてしまいます。

 そうすると、慈念の殺人の動機は、その他に幾つか細かいものが描かれているとしても、集約してしまうと、里子からのセクシャルハラスメントというだけになってしまい、あれこれ書かれてある割に稔るものは少ないと、つい私は思ってしまうのでありました。

 上記に、村上春樹の作品について少し触れましたが、この慈念の孤独と、特に初期の村上春樹の作品に見られる「生きることの孤独」との違いを考えると、水上勉がその原因を、親子関係(貧を含む)と外見の特異性に置いていることが分かります。
 これが、いわばこの作品のイメージを暗くし、そして「普遍的な孤独」への広がりを妨げているのじゃないかと感じました。

 村上春樹が描く孤独は、これもやはり生存の孤独ではありますが、このような「実存的」な孤独が真の姿を現すには、やはり近代都市の発展が不可欠なのかも知れません。
 都市生活の中にひっそりと普遍的にある孤独、これはあまねく存在するが故に、別の一面に於いては、作品全体を「暗く」させることなく、それを描くことを可能にしているのかも知れぬなと、私は暗く密かに愚考するのでありました。


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Last updated  2010.12.29 08:18:42
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