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カテゴリ:大正期・白樺派
『小僧の神様』志賀直哉(岩波文庫) 上記、短編集の読書報告の後半です。 前半は、わたくし、とんでもないことを書いてしまいました。曰く、 「志賀直哉の小説はへたくそだ。」 ……えー、ということでー、上記の一文はとりあえずなかったことにしてー、読書報告を進めます。 しかし、なんとなく、さらに変なほうに進みそうな予感がするんですが……。 前回も少し取り上げた『好人物の夫婦』のことですが、もう少し考えてみますね。 大学時代に読んだ時はとってもいい話に思えたのに、今回読んでみて、少し鼻白むばかりに「違和感」を感じた理由について、それは私が大学時代はまだ結婚していなかったからだ、そして、きっと何となく観念的にこの「細君」みたいな人に憧れていたからだ、と書きました。 まぁ、それも大きな理由だと思いますが、さらに遡って社会的な背景を考えてみれば、いえ、社会的といってもそんな大層なものではありません。 ごくごく一般的な結婚生活のありようとか、あるいは、男女観の話ですかね。 要するに、例えば少し前に私は『和解』を読んだんですが、あの小説にもしょっちゅう出てきていた、ワンマンきわまりない夫の姿、あれは志賀直哉独特のものだとも思いますが、そもそもやはりあの時代においては、あれは読者にも一定の共感を得ることのできる「夫像」でもあったんでしょうね。 しかし、現在においては、もうあれは「共感」を呼ばないでしょう、そんなことないですか? ふっと今、全く別の作家の小説を私は連想したのですが、この小説です。 『たった一人の反乱』丸谷才一 だいぶ以前に読んだ小説なので細かいところはもう完璧に忘れているんですが(でもとってもおもしろい小説だったので確か二回読みましたよ)、ある程度の社会的地位を持った中年男性が主人公です。家には、若い妻がいたり、「ばあや」みたいな使用人がいたり、えーっと、「愛人」みたいな女性もいたかしら。 とにかく、そんな人間関係の中でそれなりに順調に生活を営み、そしてそれなりに主人公は男尊女卑的に「いばって」いました。 ところがどういった切っ掛けからか、彼を取り巻く女性たちが、示し合わせたわけでもないのに小さなことで少しずつ「反乱」を起こすんですね。「たった一人の反乱」。 そのひとつずつは本当に小さなことで、「反乱」などとは呼べない程度のものですが、とにかくなぜかそんな状況になってしまい、そしてそのことによる彼の「違和感」が徐々に増してきて、そこで初めて彼は気が付きます。 自分が普通に生活を営んでいたその陰で、いかに多くの女性たちが、少しずつひっそりと、しかしその総量としては膨大な「自らを殺す」という作業をしながら、慎ましく自分に仕えてくれていたのだろう、と。 この作品が書かれたのが、昭和40年代後半であります。 志賀作品に戻りますが、前回取り上げた『小僧の神様』の本文部分ですが、あそこに描かれていたのは「偽善」に対するナーヴァスな意識なんでしょうが、たぶん筆者があの作品を書いたリアルタイムにおいては、ああいった感じ方は、かなり繊細な感覚として理解されていたのではないでしょうか。 しかし、現代においてあれくらいの感受性は、ケータイでメールのやりとりをする中学生でも当たり前のように感じ、そしてきわめて繊細に人間関係の中でそんな行動を避けるに違いありません。 さて冒頭に私は志賀直哉の作品について、とんでもない一文を書いてしまいましたが、さらに「その2」としてこんな一文を書こうかどうか、迷っていて、……あ、書いてしまった。 「志賀直哉の感覚はもはや古くさい。」 えー、こんな恐ろしいことを書いてしまう私って何者? えー、ごめんなさい。 この一文もなかったことにして、しかし、再読しつつ大いに感心したお話もありました。 これです。 『清兵衛と瓢箪』『赤西蠣太』『真鶴』 特に『清兵衛…』はよかったですねー。昔読んだときは『小僧の神様』と甲乙付けがたく思いましたが、今回は、軍配は圧倒的に『清兵衛…』という感じです。 この3つ挙げた内の前2つは、「客観小説」ですよね。 この手の小説はなかなか凄いんじゃないでしょうか。今でも十分に鑑賞に堪えるような気がします。 どこかの出版社で、志賀直哉の客観小説だけをまとめて出版していただけないものでしょうかね、文庫本あたりで。 太宰の小説が見直されていると聞く昨今、志賀直哉の客観小説なら、どの作品でしたっけ太宰治も大いに誉めていたように記憶します。 ぜひぜひ、よろしく。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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