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2011.03.02
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カテゴリ:明治期・明治末期

  『桑の実』鈴木三重吉(新潮文庫)

 今回私が読んだこの本は、例によって大型古書店で最安値で買ったものです。
 奥付を見ますと、こんなふうになっています。

  昭和二十四年十二月五日 発  行
  昭和四十二年 八月十日 十九刷改版
  昭和四十九年十月三十日 二十九刷

 これを見てどう感じるかでありますが、どうでしょう。
 私は、へぇー、結構読まれているんだ、と感じました。特に十九刷改版以降ですね。七年で十回増し刷りをしたんですから、結構売れた、つまり一応まずまず読まれていた、ということですよね。

 漱石晩年の弟子である芥川龍之介、菊池寛を除けば、漱石の直系の弟子は小説家として大成した人はいませんでした。(白樺派みたいに、漱石には憧れてはいたが、という人々は外しますね。そういうのまで入れてしまうと、谷崎潤一郎だって対象になってしまいます。)

 私の持っている日本文学史の教科書には、久米正雄、松岡譲という名前が、芥川を中心にした集合写真のコメントに載っているだけであります。
 「出藍の誉れ」というのは、なかなか難しいものですね。

 ということで、鈴木三重吉についても、私は「漱石の弟子の」という枕詞のついた人という印象がぬぐえません。そして、それと併せて、漱石の随筆『文鳥』に出てくる、という人。

 この度、そんなことが気になってちょっと『文鳥』を久しぶりに読み直してみたのですが、思っていた以上に、「三重吉」の名前がそこいら中に出てきます。主要登場人物といってもいい位置づけです。
 なるほど、鈴木三重吉の名が出た時、私が「あの『文鳥』に出てくる人」と反応したのも宜なるかなであります。

 漱石の弟子である、あるいは漱石が自分の作品で触れたがゆえに有名である、という人は結構いるように思いますね。
 「三重吉」を初め、森田草平や小宮豊隆、寺田寅彦なんかも「有名」ということでいえばそうだと思います。

 鈴木三重吉は、日本の児童文学史上とても大きな足跡を残している人だそうですが、そのことで有名だとはあまり思えませんよね。
 寺田寅彦も近代日本物理学の黎明期における著名人だそうですが、一般性ということで言えば、そのことで有名だとは言い難いように思うんですが、そんなことありませんか。

 もちろん私自身の無知さ加減のせいですが、寺田寅彦といえば「天災は忘れた頃にやってくる」というアフォリズムと、椎茸を食べて前歯を二枚折った人、という理解であります。(しかし、えげつない記憶の仕方ですねー、我ながら。)

 そもそも文学作品のモデルになる(ならされてしまう)というのは、どういう感じのものなんでしょうね。
 上記の「椎茸を食べて前歯を二枚折った」というのは、『吾輩は猫である』の中の水島寒月のエピソードであり、この人物は寅彦がモデルとされているんですね。

 この水島寒月にしても、『文鳥』に出てくる「三重吉」にしても、漱石は愛情溢れる書きぶりで描いてはいるのですが、何といいましょうか、読み物ですのでそこには多少誇張があり、いわば少し、漫才の「ぼけ」的に書かれてあるのも事実であります。

 これは又聞きの話ですが、晩年の寺田寅彦は、漱石に対する愛情は薄れなかったものの、『猫』とか『三四郎』の登場人物のモデルとして理解されていることについては(作中のエピソードを事実のごとく理解する人が絶えないことについて)、少々苦々しい気持ちを持っていたということであります。
 いえ、気持ちはよく分かりますが。

 えーっと、枕のつもりが、長い話になってしまいました。
 今回報告の鈴木三重吉の『桑の実』ですが、内容は、実にどうって事のない話であります。少々誇張して言うと、あたかも明治時代にタイムスリップした保坂和志が書いたのように、ほとんど「日常生活の裂け目」的エピソードのない小説であります。(でも、保坂和志よりは少し「裂け目」はあります。)

 特に今読むと、なにかノスタルジックな雰囲気だけがずっと作品中に流れていると感じる作品であります。(ノスタルジックというのは、現在の視点で明治時代の作品を読んでいるからと、「桑の実」から私がすぐに連想したのが童謡『赤とんぼ』であったからでしょうか。一般性のある感じ方かどうか、少し疑問がありますね。)

 これもふっと思っただけの印象ですが、同じく漱石山脈関係の作家・中勘助の名作『銀の匙』、あの小説にも少し似ていそうな気がしました。
 悪くない優しい雰囲気があります。

 しかし、筆者はその後、「小説家」としては筆を折ってしまいます。
 児童文学者、特に雑誌『赤い鳥』の出版者としての道を歩むんですね。
 上記でも触れましたように、それはそれで優れた業績なのですが、少しそのことは置いて、『桑の実』の様な小説を書いた作家が筆を折ったということは、小説における「物語性」の役割ということについて、またあれこれと考えることのできる事例であります。

 さて冒頭で見ましたように、つい最近まで、この圧倒的に起伏の少ない小説は結構読まれ続けていたんですね。
 しかし今回私も読み終えて、内容を反芻などしていると、なるほど何となく読まれる感じが分かるなと納得してしまう、そんな「魅力」の小説であります。


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Last updated  2011.03.02 06:44:20
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七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
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今猿人@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03) この件は、私よく覚えておりますよ。何故…

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