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2011.03.09
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カテゴリ:昭和~・評論家

  『芥川龍之介』吉田精一(新潮文庫)

 しかるに大正四年三月九日恒藤あての書簡には、
 周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい。しかも人はそのままに生きることを強ひられる。一切を神の仕業とすれば、神の仕業は悪むべき嘲弄だ。僕はイゴイズムをはなれた愛の存在を疑ふ。(僕自身にも)僕は時々やり切れないと思ふ事がある。何故、こんなにして迄も生存をつづける必要があるのだらうと思ふ事がある。そして最後に神に対する復讐は自己の生存を失ふことだと思ふ事がある。僕はどうすればいいのだかわからない。

 ストリンドベリイを除いて、とくに彼が愛好したのはボオドレエルであったかも知れない。彼の境遇と病弱な体質と、そしてその性癖とは、同じく病弱で孤独癖があり、のみならずダンディだったボオドレエルに共鳴する所があったに相違ない。程度の深浅はあれ、地上の汚穢に疲れて、晴朗な天国を欣求しつつも、絶えず過剰な感性と知性とに禍いされて、厭世の薄暮の中をさまよっていた点で、彼はボオドレエルと揆を一にしていた。

 少年にして高科に上るは人生の不幸という。彼の一生を顧みれば、少年のころから成績がよくて一家一族のほめ者であり、知らず知らず彼の性格にある重荷や、ある負担をあたえた趣があるが、「芋粥」の成功も同じ意味で或は不幸の因をなしたといえるかも知れぬ。

 いわば彼は鴎外、漱石ほどに、普通の意味では、健康ではなかった。思うに漱石や鴎外の健康さは、東洋的なものと西洋的なものが、広い人間性の根底に於て抱き合うことが出来た所の、明治という時代の特性だったであろう。彼等と彼とでは、明治と大正との相違が見出されるといってもよいかも知れない。


 芥川龍之介の最大の謎は、いうまでもなく自殺ですね。その動機。
 「ぼんやりとした不安」という有名な言葉が、遺書の一つである『或旧友へ送る手記』に書かれていますが、一体それは何に対する不安なのか、多くの芥川研究がいろんな説を唱えています。

 今回私が、この芥川龍之介の評伝を読んだきっかけも、この自殺の動機にあるといっていいように思います。
 しかし、その特定はなかなかに難しい。そんなに簡単にできるものではなさそうです。

 本書にも幾つかの示唆が描かれていますが、それをポイント的に絞ってまとめると上記引用のようになりそうです。つまり、

 (1)生母の発狂と養子体験を因とする、青春期からの深いニヒリズムと人間不信。
 (2)読書の影響。
 (3)秀才の試練と不幸。時代の不幸。

 しかし、こんなのを幾つ挙げてみても、鶏と卵のどちらが先かを考えるのと同じ様に、一番中心にあるものが何であるかは、まるで分かりません。
 それは結局、一般論的な言い方になっても、人の行動の動機などは特定しきれるものではないとまとめるべきなのかも知れません。

 さて、本書は吉田精一による芥川龍之介の作家評伝であります。
 なかなか読むのが重い評論でありました。
 しかしこの重さは、ひたすら誠実かつ正確な表現を追求した結果が生み出すものであって、およそ「はったり」とか「けれん」などとは縁のない筆致であります。

 実際その緻密な文章は、なんだかページ一面がびっしりと文字で埋め尽くされているようで、近年の小説に多く見られる、のほほんとやたらに多い改行や、ほとんどムダな会話に埋め尽くされてすかすかになってしまった記述(それはお前の文章じゃないかと言われそうでありますが…)とは全く対極にある、実に密度の高い内容であります。

 上記に私は本書を手にした理由として、芥川の自殺の謎を書きましたが、この本はその謎の推理に特化したものでは全くありません。
 むしろ、彼の特殊な亡くなり方とは無関係に、淡々とその個人史を追っていきます。
 それはまさに、芥川龍之介研究の基本文献を目指す、学術的な筆致であります。

 (あとがきに「厚顔のそしりを甘受しながら」と書きながらも、「この書は芥川龍之介を知ろうとする人にとってスタンダアドのものであり、この書を除いて、芥川を云々するは怠慢であろう」と強い自負を語っています。)

 近年、なぜか私は芥川作品に対する親近感が強まっているのですが、もちろん今までの私の読書がおよそいい加減な読みであったせいもありましょうが、彼の作品を読むほどに感じられる筆者の「純粋性」の様なものが、すでに彼の享年を遙かに越えて、何か尊いものとして、ひしひしと身に染みてくるのでありました。

 そういえば本書にも、こんな表現がありました。

   ひたぶるに耳傾けよ
   空みつ大和言葉に
   こもらへるくごの音ぞある(修辞学)
の磨きに磨いた措辞の美しさを見よ。この美しさを得る為に彼がいかに苦労したかは、「澄江堂遺珠」や、小穴隆一の「わたりがは」という文章で明らかである。隆一と二人がかりで詩中に使う一語を拾っていた龍之介は「わたりがは」という言葉を見つけた時、「君、僕はわたりがはといふ詞を知らなかつた。こんないい言葉があることはいままで知らなかつた。僕は知らなかつたよ」とうっとりして云った。「僕は僕の一生に於て、ああもうつくしい顔をみることが出来ない」と隆一は自己の感想をつけ加えている。



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Last updated  2011.03.09 06:52:25
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