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2011.03.12
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  『思い出す事など』夏目漱石(岩波文庫)

 冒頭に、まるで老人のような漱石の溜め息が描かれています。思わず「えっ」と思ってしまうような漱石の弱々しいつぶやきです。
 伊豆の修善寺から帰ってきて、長与病院に入院している漱石です。窓から見える風景を書いています。

 向に見える高い宿屋の物干に真裸の男が二人出て、日盛を事ともせず、欄干の上を危なく渡ったり、または細長い横木の上にわざと仰向に寝たりして、巫山戯廻る様子を見て自分も何時か一度はもう一遍あんな逞しい体格になって見たいと羨んだ事もあった。今は凡てが過去に化してしまった。再び眼の前に現れぬという不確な点において、夢と同じく果敢ない過去である。

 1910(M43)8月にいわゆる修善寺の大患があり、漱石は800グラム(一説には500グラム)の吐血をします。
 「瀬戸引の金盥の中に、べっとり血を吐いていた。」
 「白い底に大きな動物の肝の如くどろりと固まっていたように思う。」

 こんなちっちゃな表現でも、とってもうまいですね。胃から出た血のにおいが、鼻先にむっとしそうです。

 その大患後、同年10月末から翌年の2月末までの間、「朝日新聞」にとびとびに連載された随筆が本作品であります。
 修善寺では布団に張り付いたままで、手ひとつ動かすにも一仕事であった漱石が、約3ヶ月後にはその時の様子を一応原稿に書いているんですね。えらいものです。

 そしてこの作品は一方で、漱石晩年のテーマ、「則天去私」の証拠品のようにいわれている文章でもあります。
 確かに洗面器一杯の血を吐いた後の、横になったまま身動きできない自らの内心を語る文章は、「白眉」と評価の高い部分が散りばめられており、とても感動的な筆致です。
 その有名どころを、ちょっとだけ抜き出してみますね。

 「安心して療養せよ」という電報が満州から、血を吐いた翌日に来た。思いがけない知己や朋友が代る代る枕元に来た。あるものは鹿児島から来た。あるものは山形から来た。またある者は眼の前に逼る結婚式を延期して来た。余はこれらの人に、どうして来たと聞いた。彼らは皆新聞で余の病気を知って来たといった。仰向に寝た余は、天井を見詰めながら、世の人は皆自分より親切なものだと思った。住みにくいとのみ観じた世界に忽ち暖かな風が吹いた。

 医師は職業である。看護婦も職業である。礼も取れば、報酬も受ける。ただで世話をしていない事は勿論である。彼らを以て、単に金銭を得るが故に、その義務に忠実なるのみと解釈すれば、まことに器械的で、実も蓋もない話である。けれども彼らの義務の中に、半分の好意を溶き込んで、それを病人の眼から透かして見たら、彼らの所作がどれほど尊とくなるか分からない。病人は彼らのもたらす一点の好意によって、急に生きて来るからである。余は当時そう解釈して独りで嬉しかった。そう解釈された医師や看護婦も嬉しかろうと思う。

 空が空の底に沈み切ったように澄んだ。高い日が蒼い所を目の届くかぎり照らした。余はその射返しの大地に普ねき内にしんとして独り温もった。そうして眼の前に群がる無数の赤蜻蛉を見た。そうして日記に書いた。――「人よりも空、語よりも黙。……肩に来て人懐かしや赤蜻蛉」

 しかし、こうして書き写してみると、やはり実に味わいのある文章ですね。
 誠実さとか、暖かさとか、東洋的あるいは太古的な価値観・人生観とでもいえそうなものが、心の奥深いところまで静かに染み込んでくるような文章であります。
 漱石の弟子ならずとも、生死の境を経験した漱石が、「則天去私」という「悟り」の境地にとうとう到達したかの如き気持ちになってしまいます。

 しかしまー、小説の一つも書こうという人間が、そう簡単に悟ったりはしませんわね、普通。
 現在では、好意的にいっても「漱石は晩年『則天去私』の境地を目指そうとした」というあたりの文言が、文学史教科書なんかに書かれていたりします。

 修善寺の大患時、漱石はまだ43才であります。
 しかし43才の、長期に渡って心身を激しいストレスに曝し続けた男が、また長期入院をして、そして自らの過去を振り返り未来のおのれの肉体の可能性(不可能性)を嘆いている……。
 江藤淳以降の、近年の「晩年の漱石理解」は、そんな生命力の衰弱した、極めて死に近いところに位置取っている漱石の寂しい姿であります。

 さて、本随筆に再び戻りますが、漱石の随筆には時に難解なものがありますが(なんといっても圧倒的に頭の良かった方ですから)、この随筆の前半部、上記に触れた漱石の吐血までの部分は、そう思って読むからかも知れませんが、表現がぶっきらぼうで話がふらふらと飛んで、なんとも「難解」な感じがします。いかにも疲れた人の文章です。

 そして後半の打って変わった、上記に触れた、美しい宝玉を流し込んだような表現との落差に、この後続く『こころ』『行人』『道草』などに見られる、「漱石的破綻」をものともせずに突き進んでいく晩年の漱石作品の魅力が、そのまま伺えそうな気がします。

 とすればやはり、本作は漱石の一つの転換期を描いた、極めて重要な「問題作」であるのかも知れません。


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Last updated  2011.03.12 07:41:53
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analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
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