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近代日本文学史メジャーのマイナー

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2011.05.28
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  『くれの廿八日』内田魯庵(岩波文庫)

 近代文学の成立期、つまり明治二十年代というのはどんな時代だったんでしょうね。
 少し前に、「明治本ブーム」みたいなのがちょっとあったように記憶するんですが、確か、そんな明治文学全集なんかが出版されていたのを、うちの近所の図書館で見ました。

 編集をしていたのは坪内祐三氏であったように思うのですが、この評論家の本でかつて私が読んだ事のある本は一冊だけあります。
 『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』という本です。

 これは、慶応三年生まれの文学者、夏目漱石・宮武外骨・南方熊楠・幸田露伴・正岡子規・尾崎紅葉・斉藤緑雨という錚々たるメンバーのことを書いた本で、結構面白かったのですが、終盤、急に尻すぼみで終わってしまったという印象が残っています。

 坪内祐三以外にも、その辺の、明治時代の前半あたりに強い興味を持っていそうな方としては、関川夏央や高橋源一郎などがいます。しかしどちらの方も博覧強記な方ですから、特に明治前期だけに造詣が深いというわけでもなさそうですが。

 ともあれ、明治二十年代の文学というものに、わたくしも少し興味を感じつつ、しかし、近代日本文学史の本なんかを読んでいる限りでは(私の読んでいるのは、高等学校の国語の副読本の日本文学史の本です)、この辺についての記述はさほど多くありません。

 せいぜい、坪内逍遙・二葉亭四迷の写実主義と、尾崎紅葉率いる硯友社・『我楽多文庫』程度であります。
 でも、その多くない作家の作品を、それではだいたい網羅して読んでいるかといえば、まー、読めていないわけですね。

 先ず第一に、今ではそう簡単に作品が手に入りません。
 しかしそんなときこそ、この文庫。
 岩波文庫があるんですねー。岩波文庫にけっこう入っております。

 やはり岩波文庫は偉大ですよねー。
 わたくし、最近とみに岩波文庫緑帯の「ファン」なんですが、今回の読書についても、とても有り難く、岩波文庫を利用いたしました。

 さて、筆者・内田魯庵というと、何か難しそうな顔をしてパイプかなんかを銜えている写真がまず浮かびます。あわせて、この方は、私の中では文芸評論家じゃないかという「レッテル」が張ってあります。

 それは決して間違ったレッテル張りではないのですが、今回この評論家の小説を読み、私は大いに驚きました。
 全編、実に生き生きとした文体で描かれているではありませんか。例えばこんな感じ。

 「第一お前、」とお吉は畳掛けて、「人の家イ来たら、女は女同士で先ず主婦に挨拶するのが作法といふもンだ。女のくせにツーと澄して直ぐ主人の部屋へ通るッてのは耶蘇のお仲間は知らないが世間には無い事ッたネ。妾の様な意気地なしだから断念めてるが、気の強い細君なら主婦を措いて主人に交際ふ様な女は出入をさせませんネ。当然だともお前、往時なら他の良人を寝取ると云はれたッて一言も無いサ。ねヱ、爾うぢァないか。いくら学問が出来る同士だからッて世間が承知しないからネ……」
 と云ひつつお吉はジウと云はして吸つた煙草の煙を輪に吹いて何処となく凝視めて、ぢいツと考え込んだが、やがてトンと煙管を叩いて銀の顔を見た。
 「馬鹿馬鹿しい! 是れだけの財産を有つてゐて、二十圓ばかしの教師さんに馬鹿にされるンだからネ、お前達にも馬鹿にされるサ。」


 どうです。とつてもテンポのいい描写ですね。
 かつて私は、二葉亭四迷の『平凡』や『其面影』を読んだ時、そのテンポの良さと諧謔味溢れる筆致に四迷個人の文才を見たのですが、四迷に文才があることはいうまでもないとしつつ、時代の中に共通した文体としてそれは、例えば尾崎紅葉の『多情多恨』の中にも、あるいはもう少し先の作品になりますが(明治三十八年です)、漱石の『猫』の中にも、このような「名文」が広く点在していることが分かります。この魯庵の名文もしかりです。

 しかし同時代人の幸田露伴にしても同様ですが、この時代の文学者と呼ばれる人々は、誠に恐ろしいばかりの「文章力」を持っていたことに、つくずく感心されるものであります。

 ところがそんな内田魯庵が、少なくとも高校レベルの文学史教科書においては、ほぼ取り上げられることがない(評価されていない)のはなぜかと考えると(私の持っている文学史の本では、批評家として名前だけが小さく挙がっています。)、文体の素晴らしさに惑わされず、冷静に読めば、やはり分からないことはないみたいです。

 それは作品に盛り込まれた内容・思想ですね。
 この煌びやかな文体が結果として描いているものは、風刺から決して逸脱するものではなく、人間造形についても、内面を深く抉っていく展開は、求むべくもありません。
 (うーん、このことはつまり、魯庵が小説家に向いているのではなくて、ジャーナリストに向いているってことなんでしょうかね。)

 では一体、この素晴らしい文体は何のためにあるのでしょう。
 それは、現在という時代から歴史を遡って鳥瞰的に見れば、時代的限界、あるいはやはり、筆者の文学的才能の限界といってしまえそうにも思います。

 そしてその事の無念さは、この生きのいい文体の奔流が私には切ない流出のように感じられ、その「もったいなさ」を、呆然とただ心痛めるのでありました。


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Last updated  2011.05.28 07:21:47
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