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2011.06.08
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  『硝子戸の中』夏目漱石(岩波文庫)

 私の友人の中に、漱石作品の中では『硝子戸の中』が一番好きだという人がいます。
 たまたま何かの話をしていた時に触れた程度だったので、それ以上の進展もなかった話題なんですが、よく考えてみれば、かなりヘンな「好み」ですよね。

 だってこれって、例えばベートーヴェンの全作品中私の最も好きなのは「エリーゼのために」だっていうのと、あんまり変わらないと思いませんか。

 ……うーん、「エリーゼのために」は、少し言い過ぎかも知れませんね。
 うん。このあたりでどうでしょう。

 「ベートーヴェンの全作品中、私の最も好きなのはオペラ『フィデーリオ』だ。」

 この例え、いいですね。
 そう、こんな感じじゃないでしょうかね。

 しかし、今回取り上げようとしている『硝子戸の中』とか『思い出す事など』なんかは、一部の読み手には、漱石作品中かなり重要な作品だと評価されているんですね。
 なぜかと言うに、ここから漱石の「則天去私」が読める、と。
 「則天去私」の境地そのものでなくても、それを目指し、精神的活動としては日々刻苦勉励に励んでいた漱石の姿が描かれている、と。

 事実この随想のある章には、倫理的価値観に基づいて自らの行動を断罪し、その苦悩を語る漱石の姿が描かれていたりしています。
 そこはさらに、こんな風に書かれます。

 もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前にひざまずいて、私に亳髪の疑いをさしはさむ余地もないほどの明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出て来るすべての人を、玲瓏透徹な正直者に変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわん事を祈る。今の私はばかで人にだまされるか、あるいは疑い深くて人を容れる事ができないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に満ちている。もしそれが生涯続くとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。

 今、上記の文章を写していてまず思ったことなんですが、この作品は朝日新聞に連載されていたんですが、現代ならちょっと書けないだろうという、何というか、正直さで書いていると感じました。
 仮にも漱石といえば、この時代の大知識人であり、ベストセラー作家でもあった人ですね。現代の文筆家なら、これだけ無防備な文章は、ちょっと公に発表できないんじゃないでしょうか。どうでしょう。

 しかし、一方で私はふとこんな事も思ったんですね。

 「これは、まるでブログの文章のようでもある。」

 なるほど、そう考えれば、上記に「天下の朝日新聞」と言うことを書きはしましたが、この時代に朝日新聞が「メディア」として持っていた立ち位置は、特に質的なものとしては、現在で言えば「ブログ」に近いんじゃないかと。

 ともあれ、漱石晩年の二大随筆は、実に読者を魅了する誠実な文体で描かれています。

 しかし、その中に書かれているものは、以前より既に多くの指摘があるように、極めて「死」の臭いのするものであります。
 それは、ほとんど全話題においてそうであり、ここにある人は「悟り」に近い漱石を見、ある人は「生命力」の枯渇しかかった漱石を見ているわけです。

 実際、とても多くの身の回りの人々の死が描かれているのですが、それはたぶん、この明治から大正という時代において、本当に人々の回りには死が満ちあふれていたということでありましょう。

 漱石の小説に描かれたものとしては『彼岸過迄』中の愛児・雛子の死が代表的でしょうが、人生のすぐ横に死が静かに蓋を開けているという状況は、きっと万人の日々の生活の相でもあったのだと思います。

 ただ、死が回りに満ちあふれていることと、それに敏感に反応して作品中に掬い取ると言うこととは明らかに別物で、ここにもこの時期の漱石が、生よりもすでに死に馴染もうとしている様子が見て取れます。

 この随筆の連載時、漱石の年齢は四十八歳、小説作品としては『こころ』を書いた直後であります。
 この後すぐに『道草』を書き、そして絶筆『明暗』へ。
 いまだ五十歳に満たずとはいえ、既に肉体を多くの病によって損なわれ、しかし「生」の意味をあくまで問い続けていた作家の残りの人生は、後二十ヶ月ほどでありました。


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Last updated  2011.06.08 06:24:20
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analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
今猿人@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03) この件は、私よく覚えておりますよ。何故…

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