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2011.06.18
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カテゴリ:昭和期・中間小説

  『華岡青洲の妻』有吉佐和子(新潮文庫)

 本書を読んでいまして、あまりテーマに関係ない話(全く関係ないことはないんですけれども)ながら、幾つか気になったことがありました。
 そもそも優れた作品というのは、そういった枝葉の部分に入っても、その先に十分な広がり、いわゆる「懐の深さ」を持っているものですが、本書もそんな一冊なのかも知れません。

 ひとつはこんな部分なんですがね。

 本陣の娘という身分柄には微妙な意味合が含まれていることに、佐次兵衛は迂闊にもごく近頃になって気がついたのである。それはもとより藩主の宿を承る名誉ある家柄の生れであることも示していたが、同時に藩主の愛を享けたかもしれない女という不確かな推量も含まれていた。それは当時にあって決して不名誉なことではなかった。藩主は紀州至上のひとであり、しかも徳川将軍家の一族である。食事の給仕に出たのが目に止れば、娘を夜伽に侍らすのはむしろ光栄というものであった。だが反対にその事実がなかった場合は、お目に止りようもない娘ということになって、処女であることを誇るわけにはいかなかった。豪士妹尾佐次兵衛にして娘をこの逃れ難い噂の陥穽から救う力はなかった。光栄を得たところで側室になるわけでもなく、いわば行きずりの慰みになった事実は覆うべくもないし、どちらにしても加恵にはなんの得もないのだ。その結果が二十一歳という今まで縁遠く妹尾家の奥内で暮している。

 どうですか。
 「ふーん、そうなんだ。」という感じでしょ。
 本陣の娘に、そんな存在論的アンビバレンツがあったなんては、ちっとも知りませんでした。

 「本陣」といえば、有名な、あの金田一耕助が始めて登場した『本陣殺人事件』、もちろん横溝正史の名作推理小説ですが、あの舞台の本陣にも同様のアンビバレンツがあったのでしょうか。
 だから、あんなに暗い話だったんでしょうか。(まさか、ね。でも本書も、それくらいに暗いといえば暗い話でありますが。)

 そんなことを考えたのがひとつ。
 もう一つは、もっと本作とは関係のないことですが……。

 この小説は、新潮文庫で言えば52ページ「第六章」に入って、京都に遊学していた華岡青洲が、両親兄弟そして新妻のいる和歌山の実家に帰ってきた瞬間から、「不条理的」(男の私にはそうとしかいいようのない様な)に姑・於継と嫁・加恵の関係が地獄のような憎悪関係に急変します。
 それは全く血も凍る陰惨な精神戦でありますが、この精神戦を、男の私はとてもコワがりながら読んでいて、ふと、「あーそうか、『フィガロの結婚』もこんな話だったのか」と思ったんですね。

 えー、これもまた、なんか唐突な話ですよねー。
 これは『フィガロの結婚』の登場人物、スザンナとマルチェリーナの事であります。(マルチェリーナのお話ということは、これも少し枝葉話になりますが。)

 ストーリーの後半、この二人は本当に嫁と姑であることが分かるのですが、その事が分かる以前のフィガロをめぐる三角関係の時から(ということは冒頭から)、すでにモーツァルトは、二人のいがみ合いを嫁姑の確執として書いていたのではなかったかと、この度私は初めて気が付いたということであります。
 これって、突拍子もない鑑賞なんでしょうか、それともみんな知ってる当たり前の理解なんでしょうか。

 そんなことをあれこれ考えながら本書を読んだのですが、なかなかおもしろかったです。
 さすがにベストセラー小説を次々に発表なさった方の作品だなと思いました。
 ただ、クライマックスの嫁姑が青洲のために次々に全身麻酔の人体実験になっていくあたりから、特に姑・於継の心理分析に少し腑に落ちないものを感じることがありました。

 心理のとらえ方が「いびつ」というより、ステレオタイプに見えるような感じであります。
 それは作品を嫁姑問題という枠にあてはめすぎて、登場人物が生き生きと動けず、そして結果として心理分析に深みが欠けステレオタイプになるという、そんな感じがしました。

 これは多分、筆者の読者サービスなのかなとも思います。
 ベストセラー小説となるには必要な面白さの追求なのかなとも思います。
 でも、そんなに読者を面白さで引っ張り回さないでも、十分に読ませる力はあるのにと言う気もしました。

 いえ、ベストセラー小説とはそんな甘いものではない、という声が聞こえそうであります。
 なるほど、そもそもベストセラー小説など、ほとんど読んだことのないわたくしの説くことでありますゆえ。


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Last updated  2011.06.18 07:10:04
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