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カテゴリ:昭和期・後半男性
『風の歌を聴け』村上春樹(講談社) 冒頭作品の読書報告の後半であります。 前回書いていたのは、私は村上春樹の第2作目あたりからのファンであったということでありましたが、「ファン」であることについては、その後少し間を置くようになっていきました。 そもそも「ファン」って、偶像崇拝があるでしょ。 加えて「フェティシズム」。 例えば『風の歌を聴け』に出てくる「猿の檻のある公園」に行って写真を撮ってくるとか、『ランゲルハンス島の午後』に出てくる「橋」の上を何度も行ったり来たり歩いてみるとか……。 (あのぉ、これ、わたくし、どちらもしました。) それがイヤになったことと(当たり前やんか、エエ年して)、それともう一つ。 「謎解き」ですね。 村上春樹ファンとくれば、作品の謎解きであります。 この謎解きの春樹本がやたらたくさん出版されて、ああでもないこうでもないと、まるまる「百花繚乱・百鬼夜行」状態なんですね。 これに、ちょっと、もー、付いていけない、と。 そこで私は、「ファン」の看板を下ろしまして、偶像崇拝はやめてむしろ「ファンダメンタリスト」でいようと考え、「原典」だけを読もうとつい最近までそうしていたんですが、前回書きましたように、この度内田樹氏の講演を切っ掛けに、また少し、「第二次産業的」村上春樹読書をしてしまいました。 でもまぁ、そうすると自然に「原典」の読み直し意欲が起こるわけで、実に久しぶりに私は冒頭の小説をじっくり最後まで読み通しました。 そしてどう思ったかと言いますと、「第二次産業的」村上春樹本では、石原千秋の分析が(この分析は石原氏の独創というよりは過去のいくつかの分析の総括的なものでありますが)、とてもしっくり来ると感じました。 例えばこんな個所についての分析。 今、僕は語ろうと思う。 もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。 そんなわけで、僕は時の淀みの中ですぐに眠りこもうとする意識をビールと煙草で蹴とばしながらこの文章を書き続けている。熱いシャワーに何度も入り、一日に二回髭を剃り、古いレコードを何度も何度も聴く。今、僕の後ろではあの時代遅れなピーター・ポール&マリーが唄っている。 「もう何も考えるな。終わったことじゃないか。」 この抜粋部分は、作品中では「額縁」に当たる部分、つまり主な舞台の時代である「僕」が21歳の時の感情ではなくて、この小説を書き出した28歳時の「僕」の感情表白となっている部分であります。 石原千秋(ならびにその他の評論家)の分析のポイントは、ここに描かれる「問題」や「終わったこと」が、こう書いてあるにもかかわらず、作品中にほとんど説明されていないではないかと言うことであります。 そこで、一本の補助線を引いてそれを見える形にしよう、と。 その補助線とは、端的に斉藤美奈子の評論のタイトルが述べているものですね。 なるほど、そう読むと、少なくとも本作品中の主人公の感情表白個所には一定の、そしてとてもしっくりいく「根拠」が伺えます。例えばこんな部分について。 夏の香りを感じたのは久し振りだった。潮の香り、遠い汽笛、女の子の肌の手ざわり、ヘヤー・リンスのレモンの匂い、夕暮の風、淡い希望、そして夏の夢……。 しかしそれはまるでずれてしまったトレーシング・ペーパーのように、何もかもが少しずつ、しかしとり返しのつかぬくらいに昔とは違っていた。 この「昔」とは、いつなのか。 それがとてもよく分かる分析となっているということですね。 そして何よりこの分析に従うと、この作品の後村上春樹が書き続ける「鼠三部作」に見える主人公の「喪失感」の裏付けが取れる、つまり、たぶん、それはこの分析がかなり正しいことを物語っているのだと思います。 ただ、だとすれば、この作品の根っこの所にある「感情」は、(少し表現に戸惑うのですが)、現代的で華やかな作品の意匠とまるでそぐわぬ、古い日本文学固有のテーマと同様のもの(例えば、鴎外の『舞姫』?『普請中』?)になってしまわないか、と。 (村上春樹に批判的な斉藤美奈子の文章には、それを見事に揶揄的に語っている個所があります。) ……ふーむ。 村上春樹が現在、本作と次の『ピンボール』とを、レベル以下ゆえに他国語への翻訳を許可しないとしていることについて、なるほど、少し苦しい彼の心中が、僭越ながら、少し垣間見えるような気も、致します。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.07.09 08:24:25
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