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2011.07.20
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カテゴリ:昭和期・後半男性

  『羊をめぐる冒険』村上春樹(講談社)

 上記作品の読書報告の後編であります。
 私はここん所ずっと村上春樹を読んでいるんですが、いけませんねー。
 何がいけないかと言いますと、それは「麻薬」のいけなさですね。
 「麻薬」とは、えらく剣呑な話ではないかとお怒りの貴兄、もしも私の発言が誤解をお与えしましたならば、謹んで謝罪致します。

 簡単に述べますと、まるで禁断症状が起きる如くに次々と村上作品を手に取ってしまう、さほどに面白い、ということですね。
 この面白さの正体については、すでに多くの評論家が分析をしていると思いますが、寡聞にして私は存じません。
 私自身の感想としては、稚拙ながらこんな風に思っています。

 まずは、文体の力。次に、造形された人物の魅力。

 どうですか。やはり稚拙な分析ですね。これでは、論文にはなりません。
 でも、村上作品の登場人物(主役級の人物ですね)って、とてつもなく魅力的だと思いませんか。この人物に簡単にすっと感情移入ができない人は、たぶん村上作品は面白くないのだと思います。

 しかし、あれ(主役級人物の魅力)の正体は、本当に一体誰なんでしょうかね。やはり筆者の人間性がその原型なんでしょうか。うーん……。

 というように、「村上春樹をめぐる冒険」は、際限なく私(達)を惹きつけ巻き込み取り込んでいきます。だから「いけませんねー」と、わたくしはつくづく思ったのでありました。

 ところで、上記の「魅力」の話ですが、作品のストーリーには魅力はないのかとお気づきの貴兄、そうなんですねー。ストーリーについて、私実は、これはなかなか難しい、簡単には何とも言い難いと思っています。
 (というか、村上春樹はストーリーの新しい面白さを我々に提示しているように私には思えて、その「新しい面白さ」というものは、そう簡単に、一朝一夕に万人に理解されるものではないと考えております。)

 という話を、実は前回の本ブログでしようと思っていたのですが、前回に書ききれず今回に入って、さて内容は、さっぱりそれに繋がっていませんねー。
 だから村上作品は困ったモンなんですねー。(って、それは村上作品のせいじゃないだろうっ!)

 前回の最後に話していたのは、三島由紀夫の『小説とは何か』の一挿話であります。
 柳田国男の『遠野物語』の中に「炭取り」が廻るという話があって、その話の中の描写に三島由紀夫は小説を見た、っちゅう話であります。(すみませんが、もう少し丁寧な説明は前回のブログ記事をご覧くださいね。)

 その部分を三島由紀夫はこのように述べています。(引用部分中の「このとき」とは、「炭取りが亡霊の着物の裾に当たってくるくると廻った時」を指します。)

 すなはち物語は、このとき第二段階に入る。亡霊の出現の段階では、現実と超現実は併存してゐる。しかし炭取の廻転によつて、超現実が現実を犯し、幻覚と考へる可能性は根絶され、ここに認識世界は逆転して、幽霊のはうが「現実」になつてしまつたからである。幽霊がわれわれの現実世界の物理法則に従ひ、単なる無機物にすぎぬ炭取に物理的力を及ぼしてしまつたからには、すべてが主観から生じたといふ気休めはもはや許されない。かくて幽霊の実在は証明されたのである。

 どうですか。
 この三島の理論にはまだもう少し続きがあるのですが、今私はこの文章を写していて面白いことに気が付きました。
 いえ、別に面白いことでも何でもないのかも知れませんが、どんなことかと言いますと、村上春樹もこの三島の文章をきっと読んでいる、そして、この理論の援用をもって、『羊』次の『ダンス』そして、さらには空から蛭が降ってくるなどのエピソードを持つ『海辺のカフカ』といった作品の理論的根拠のひとつとしたのではないか、ということであります。

 うーん、ちょっとエキサイティングですね、そうでもないですか。

 ともあれ死んだ「鼠」は、本作の中でたくさんの炭取りを廻し、さらには村上作品自体がこの後、日常生活の中で炭取りの廻り続ける世界と接点を持つという物語に、どんどん傾斜していきます。
 私が上記に触れた、ストーリーの「面白さの新しい形の提示」とは、こういう事であります。

 世界中で読まれ続ける村上作品を、多くの人が、心の深いところからの感動があると述べていることについて、私は村上作品が、「面白さ」ということの質を根本的に変えようとしている、あるいは少なくとも、「新しい面白さ」を我々に次々と提示しているのだと思います。
 そしてその試みが成就したならば、まさしく人類の新しい「価値」が創造されたということであり、それは「革命」と呼ぶにふさわしいものであるのだと、私はここまで考えた時、その「偉業」にほとんど目眩を覚えるばかりでありました。


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Last updated  2011.07.20 06:40:13
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