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2011.07.23
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カテゴリ:昭和期・後半男性

  『ダンス・ダンス・ダンス・上下』村上春樹(講談社)

 唐突ですが、いしいひさいち氏といえば、まー、やはりギャグマンガ(多くは4コマ漫画)の天才の一人でしょうね。
 作品に表れる、対象に対する天才的な切り込み方や批判的視点に、本当に驚かされることが多いです。

 そして時々、ヘンなリアリティというか、いわゆる4コマ漫画の「文法」に従っていないような作品(何というか、「唐突な登場と唐突な退場」という感じのものですがー。)が表れたりします。不思議ティストです。
 (絵も抜群に上手なことは、彼の描く似顔絵が実によく似ていることからも分かりますよね。)

 さて、そんないしい氏のかなりむかーしの作品でしたが(『バイトくん』のシリーズだったでしょうか)、先輩が昨夜見た夢の話を延々と喋るのに付き合わせられるバイトくん、という話がありました。
 私は妙に記憶に残りました。

 なるほど、人の夢の話を聞かされるというのは、なんか相づち一つでもうまく打ちにくいような、いわく言い難い退屈さがありますよね。どなたも体験的に大いに納得いただけるのではないでしょうか。
 でも人の夢の話を聞く「うんざり」の正体とは、いったい何なのでしょう。

 わたくし思うんですが、それは結局、人は無意味に耐えられない、ということではないでしょうか。
 無意味、あるいは意味が理解できないことに対する人間の抵抗力のなさは、確かドストエフスキーの『死の家の記録』の中にも、反抗的な囚人の精神を痛めつける刑罰として、書いてあったように思います。

 囚人への刑罰とは、少し話が飛びすぎてしまいました。ごめんなさい。
 話を戻しますが、人は無意味に耐えられません。
 しかし、人の心の中(精神世界)には、意識で把握できない「無意識」の領域が、我々の理解する「意味」とは全く異なった行動規範(それを「規範」と呼べるのなら)に則って、明らかに存在している、と。
 しかもその「無意識」部分は、「意識」部分の十倍ほども大きいということであります。

 部屋が二つあって、一つのドアで繋がっていますが、片方の部屋の大きさは、もう一方の部屋の大きさの十分の一。
 部屋を繋ぐドアの横には「看守」が立っていて、ある者には二つの部屋の自由な出入りを許し、ある者には許しません。今まで許されていた者も、ある時いきなり「出入り不許可」が命ぜられたりします。またその逆も。

 この小さい部屋が我々の「意識」であり、一方の大きい部屋が「無意識」なんですよね。そしてドアの横の「看守」が、どんなルールに則って出入りの許可不許可を決めているかが全く分からないというのが、現在の我々が、我々の精神世界について知っていることだそうです。

 たぶん、「夢」の無意味さ(理解困難さ)は、ここに原因を持つのだと思います。
 そして問題は、放っておけばそんなうんざりするような「夢」話を、いかに統一体としての一つの小説にするか(それも、世界中で読まれるような面白い小説にするか!)、であります。
 (やっと『ダンス・……』の話に繋がってきました。)

 「うまく言えない」と彼女は言った。「どう言えばいいのかな。その羊男という人の姿が目にありありと浮かぶというんじゃないの。わかるかな? 何かこう、そういうものを見た人の感情がこっちに空気みたいに伝わってくるのよ。それは目には見えないものなの。目には見えないんだけど、それを私は感じて、かたちに置き換えることができるの。でもそれは正確にはかたちじゃないの。かたちのようなものなの。もし誰かにそれをそのまま見せることができたとしても、他の人には何がなんだかわからないと思う。それはつまりね、私だけにしかわからないかたちなの。ねえ、上手く説明なんかできないわよ。馬鹿みたいだわ。ねえ、私の言ってることわかる?」

 この「ユキ」の科白は、本作の方法論のフォーマットに、核心的に触れていると思います。いえ、本作だけではなく、現在に至るまでのほとんどすべての村上作品の「書式」がこれであるように私は思います。

 そしてさらに本当の問題は、この「書式」で作られた物語が、本来ならそれだけでは面白いはずはなかろうというのが、冒頭で触れたいしいひさいちの漫画の指摘だということであります。

 つまり、ここにこそ村上春樹の類い希な、きわめて独創的な才能があるということであります。

 無意識(「無意味」)を面白いものにする才能。
 「意味」と付かず離れずの距離を保ち続ける物語を造り出す才能。

 そもそも、そんな事って本当にできるのかと思いませんか?
 しかしもしそれが可能ならば、我々が村上作品を読むという体験は、まさに「我々の生活と我々の夢」という関係に等しく、なるほど人々が村上作品に深い感動を覚えるという意味の正体が、ここからもまた納得できそうに思います。

 ともあれ、村上作品が降りていく精神世界への深度は、本作以降、加速度的にその数値を伸ばしてゆくのでありました。


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Last updated  2011.07.23 06:30:25
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