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カテゴリ:昭和期・中間小説
『或る「小倉日記」伝』松本清張(角川文庫) だいぶ昔に読んだ本なので、細かいニュアンスは忘れてしまったのですが、タイトルは『大いなる序章』という、筒井康隆の小説であります。 これは小説家を目指す主人公が、晴れてそうなるまでを書いたお話です。(だったと思うんですがー。) 編集者からいろいろアドバイスを受けて、主人公は「私小説」的に身の回りの実在人物をモデルにあれこれ書いていきます。そして書きながら、こんな事を書いていいのだろうか、間違いなくあいつは激怒するだろうな、絶交だろうな、じゃ次は、そのことを書けばいいのか、などと考えます。 そして、最後に、これは一種の地獄だなという見解に到達します。 なるほどねー。作家というのは、確かにそんな近所迷惑な部分を、かなり、「かなり」持っていますよねー。 (今ふっと思い出しましたが、北杜夫の奥方もそんなことをおっしゃっていたようですね。娘さんの斉藤由香さんが、エッセイを書き始めた時、パパとママのことを書いてあげると言ったら、もうこれ以上はまっぴらですと固辞なされたとか。) 今回の短編集の中でそれが一番出ていたのは『父系の指』という作品で、筆者自身半分くらいは実際の内容だとおっしゃっているようですが、しかし、こんな事を書かれたら、モデルの親戚にとっては、なんとも近所迷惑の極みであります。 作家は、こんな事を時々しますからねー。難儀なものであります。 そもそもこの短編集には6つの短編小説が収録されていますが(全作ほぼ筆者の初期作品であります)、これらの作品の中で、筆者は徹底的に自らのコンプレックスを、まるで傷口に塩を擦り付けるように、マゾヒスティックに、かつ戦闘的に描いていきます。 これは、この筆者にとって多分、必ず通過せねばならない重要な関門であったのだと思います。そして、どうせそうであるのなら、それを徹底的に創作のエネルギーに変えてしまおうと、そんな考えで描いたのだと思います。 そんな、破れかぶれな、鬼気迫るような情念が、作品の随所に見られます。 「あなたはそれでいいかも知れませんが私たちはどうなりますか」 とふみ子が泣いた。 「おれは学閥の恩恵もなく、一人の味方もない。周囲は敵だらけだ。おれが学問の世界に生きてゆくには、こうしなければならぬのだ」(『石の骨』) 高崎を恨む心は憎しみに変った。 それほど卓治は博物館に入りたかったといえる。当時の官学は東京大学は振わず、もっぱら博物館派と京都大学派が主流であった。博物館入りを望んでいる卓治の心は、いわずとも官学への憧憬につながっていた。 大部分の在野の学者が官学に白い眼を向けて嫉妬する。嫉妬は憧憬からである。 その憧憬に絶望した時が、憎悪となるのだ。爾後の卓治は官学に向って牙を鳴らすのである。(『断碑』) 実は私は、このような「けんか腰」の文章が散りばめられてある作品を読み始めた時、筆者の人間理解に、少し歪んだところがあるのではないかと感じました。 この文庫本の解説を田宮虎彦が書いているのですが、なるほど田宮虎彦の小説にもこんなマゾヒズムの果ての「歪さ」を感じることがあったのを、思い出しました。 この「ゆがみ」は、例えば「或る『小倉日記』伝」では、主人公の奇形な外観に代表されており、しかし主人公の孤独感をそれに象徴させてしまうと、本来の人間存在の絶対的孤独には行き着かないのではないかと、私は思ったわけです。 そしてそこに、文学作品としての物足りなさを感じたのでありました。 それは例えば、中央公論社が現代文学全集を作ろうとした時、その中に松本清張の一巻を入れようとしたら三島由紀夫が頑なに反対したとか、そんな「うわさ話」の類に関しても一種納得してしまうような感じ方でありました。 しかしこの度、そういった類の短編小説をまとめて読んで、私は、少し違うことに気づいたのであります。 この「ゆがみ」の描写は、筆者が筆者なりに考えた「通過儀礼としての戦略」であると。 いずれ放っておいても外部からそのような読み方をされるのなら、そのコンプレックスを全開にして創作のエネルギーにしてしまおうと。 コンプレックスとは、隠そうとするからそうなのであり、しかしまたそうであるからこそ力の源でもあり得る、というものです。 筆者は、自らそれを誇張・デフォルメして書ききることで、一つの危機を乗り切り、そして一つの恩寵を捨て去ろうとしました。 それは、その先から初めて本当の「平等」な戦いが始まるのであるという戦略であり、自負でもあり、同時に自分を追い込んだ地点でもあったと思います。 そしてその「戦い」に、筆者は勝者となったのか。 ……いえそれは、私ごときが云々できるものでは、まるでありません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.11.02 06:27:09
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