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analog純文

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2011.11.26
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  『夏の庭』湯本香樹実(新潮文庫)

 この本は、児童文学なんでしょうかね。
 児童文学は今まで取り上げたことはありませんし、と、書いて気づいたのは、『少年H』で、あれも児童文学の中に入っていくんですかね、ちょっと分かりません。
 さらに気づいたのは、宮沢賢治の一連の作品ですかね、こちらの方が、『少年H』よりもっと児童文学っぽい気がします。

 で、今後児童文学を取り入れようという気があるかと言えば、それはあまりありません。
 なぜかというに、まー、それを以下に書こうと思っているのですが、うまくいくかどうか、よくわかりません。

 基本的に私は児童文学とあまりそりが合わない、という(いつもながらの)バイアスの掛かった思いがあります。
 なぜ、そんなことを思うかというと、それは簡単で、読んだ後「不満足」な感じが、どうしても残ってしまうからであります。
 少し前の本ブログで、児童文学について少し触れたことがあって、そこで私はこの「不満足」のことを、児童文学ゆえの「人間性の簡略化」と書きました。

 だからでしょうかね、今回の読書も、読み始めてしばらく以降、なんか長すぎるんじゃないかという気が、ずっとしていました。本当は決して長い話でも何でもありません。新潮文庫で200ページほどです。
 にもかかわらず私が長いと感じたのは、それはこの作品の構造が、横に広がっても縦に深まっていかないタイプのエピソードの集積になっていると思うからです。

 人の死というものに興味を持った3人の小学6年生の少年が、一夏、近所の一人暮らしのおじいさんの死ぬのを目撃しようと観察をするという話です。
 いくつかのエピソードが描かれます。そしてその先は、と読んでいくと、いかにも「予定調和」なんですね。この段階で全体のストーリーの骨格を想像せよと言われても、ほとんどの人は外すことなく言えてしまうんじゃないかと思います。
 そんな意味で、「出来すぎ」といってもいい展開であります。

 だからきっと、この作品は「リアリズム」ではないのだと思います。
 小学校6年生の男子がそんなに長期的に(ほぼ一夏です)死について興味を持ち続けるとは思えませんし、同じく彼らがそれほど年寄りの話に対して興味深くあるとも思えません。

 筆者は「あとがき」にこんな事を書いています。
 自分は7歳で祖父を失った。生前の祖父にはずっと近寄りがたいという気持ちがあった。祖父が死んだ時、そんな風にしか接することのできなかった自分に嫌悪感を抱き、祖父のことは忘れたいと思い続けた。しかし大人になって、たまたま祖父のことを思いだす機会があり、それ以降、自分はどんどん祖父のことを思い出し続け考え続け、そして、本作を書こうと思うに至った。

 実際の話、小学生が年寄りと触れあう距離感というのは、この筆者が幼かった時の形くらいが平均的なんじゃないかと思います。もっと親密な距離感は、老人が亡くなり自分は成人を迎え、そして初めて持ち得るたぐいのものだと思います。

 ただ、この筆者の話にはもう一つ大切なポイントがあります。
 それは、なぜ大人になってから亡くなったおじいさんを追いかけるようになったのか、ということであります。

 坂口安吾の随筆に『文学のふるさと』という名品があります。
 安吾はこの随筆の中で、有名な『伊勢物語』の「芥川の段」を取り上げて、三年越しに求婚し続けやっと思いが叶って強奪した女をまんまと鬼に喰われてしまう男の話を、「突き放された凄然たる美しさ」と書きました。「むごたらしい美しさ」「何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ」と書きました。
 そしてさらに、「何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない『ふるさと』を見ないでしょうか」と書きました。

 「文学のふるさと」
 すぐれた児童文学の本質は、すべからくこうあるべきだと、私は思います。
 ただ、安吾はこの随筆の最後にさらにこのように書きます。

 アモラルな、この突き放した物語だけが文学だというのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。……
 だが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。そして、文学の批評も。私はそのように信じています。


 一夏を老人の死に費やす少年達を描いた本書は、私には少し「不満足」であっても(そう感じるがゆえに)、やはり「文学のふるさと」としての資格を充分持っているものと、私は思うのでありました。


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Last updated  2011.11.26 08:58:40
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