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2011.12.14
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カテゴリ:大正期・白樺派

  『極楽とんぼ』里見とん(岩波文庫)

 「とん」の漢字が、出ないんですのよねー。
 こういうのって、なんか、悲しいんですのよねー。

 というわけで、里見とんの小説であります。
 えー、そもそも、「極楽とんぼ」というタイトルでありますが、……、うーん、やはり何となく惹かれますよね。
 要するに、極楽の地でとんぼのようにすいすいと空を飛んでいるだけのお気楽人生、という意味ですよね。やっぱり惹かれますね。

 ところが、本文中に二回、下記の歌(というか諺のような標語のような三十一文字)が出てくるんですが。こんな歌です。

  憂きことのなほこのうへに積もれかし限りある身の力ためさん

 もちろんこの歌は主人公の生き方と全く逆なものとして、いえ、主人公の母親や身内の者が、主人公にひどい目に遭わされた時に口にしたり心に唱える歌として出てくるんですね。主人公の生き方のアンチ・テーゼであります。

 ところで私は、こんな歌の意にも何となく心惹かれるところがあるんですね。
 何といっても、ベートーヴェン大好きですから。
 ベートーヴェンという人は、自らの人生の幸福と引き替えに、音楽に自分の全勢力をつぎ込んだ方でありましょう。やはり偉人ですよねー。

 確か画家のゴーギャンが、人生には辛いことしかない、辛いことを生きるということが人生なんだ、みたいなフレーズの言葉を書いていたのを読んだような気がします。それともあれは、ゴッホだったかしら。
 どちらのお方にしても、いかにも相応しいお言葉のような気がします。これも頭が下がります。

 しかしその一方、我々はフーテンの寅さんが好きです。いえ、我々とは言い過ぎかも知れません、少なくとも私は、フーテンの寅さんが好きです。

 漫画家ジョージ秋山の代表作の一つに、『はぐれ雲』という作品がありますね。
 かなり以前からありますが、今でも雑誌に連載しているのでしょうか。
 昔、友人が単行本でたくさん持っていたのを、片端から読ませて貰ったのを覚えています。あの主人公も、とても魅力的ですよねー。

 そもそも日本の民話にも、そんなたぐいの主人公の話が、結構あったんじゃないでしょうか。「三年寝たろう」とか「わらしべ長者」とか。

 ……うーん。今ちょっと調べてみたのですが、よくみると「三年寝たろう」や「わらしべ長者」は、「フーテンの寅さん」とはコンセプトが違っていますね。そして、『はぐれ雲』も、「寅さん」とは違う種類の主人公であります。

 彼らには、そもそも力量が充分あるんですね。普段はそれをまるで見せないだけで。
 『はぐれ雲』の主人公はもちろんそうだし、二つの民話に描かれているコンセプトも、やはり一種の「勤勉の勧め」であります。

 一方、「寅さん」は違います。彼には全く「偉人的」力量はありません。
 ただ彼にあるのは、何ということのない、人に好かれる人柄であります。そして本作の主人公、吉井周三郎も、間違いなくこのタイプの人物であります。

 かつて太宰治は、『お伽草紙』中『瘤取り』の話の中で、作中に出てくる鬼に瘤を取って貰ったおじいさんと、鬼に瘤を付けられてしまったおじいさんとの間に、善悪人倫上の差はないと書きました。ではなぜその結果において、両者に甚だしい幸不幸が生じたのかということを、いかにも心理通の太宰はこう書きました。

 「性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます。」

 さて本書の主人公は、フーテンの寅さんをお金持ちにしたような話です。ただお金持ちになった寅さんの存在が、果たして可能なのかどうかは、問題の残るところでありますが、それが、いわゆる「白樺派」的モラルであるのかも知れません。

 寅さんよりファンタジックな印象がどことなく流れ、そこに一種の「癒し」を見ることもできましょうが、お気楽と言えばお気楽な話です。

 そもそも、そんな漫談のような話なんですね。
 ずるずるとどこまでも続いていくような、これと言った悪人も出てこず、また君子も出てこないと言う。
 そんな意味で言いますと、例えば保坂和志の小説、あの見事に何も起こらない小説と、なんだか少し似ているような気がします。つまり、日々の生き方は描かれるが、事件は起こらないという、「ご近所づきあい」のような小説であります。

 ただそれは、面白くないということではないんですね。
 毎日庭に出て園芸を楽しむような、そんな静かな連続的な楽しみが、そこにはあります。そして何といっても、それに加えて文体の芸でしょうか。見事に流暢な滑らかな文章が展開されています。
 こんな話芸を持つ人は、例えば久保田万太郎なんかがそうでしょうか。一種天才肌の文章であります。

 ともあれ良きに付け悪しきに付け、そんな趣味性の高い気のする作品です。
 しかし、そこに日々の園芸のような楽しみがあって、舌を巻くような冴えた文体があって、その上まだ何がいるのかと考えると、なるほどその通りではありましょうが……。


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Last updated  2011.12.14 06:14:53
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