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カテゴリ:大正期・白樺派
『大津順吉』志賀直哉(新潮社) 今回私の読んだ本は、文庫本ではなくて単行本であります。1917年(大正六年)出版『新進作家叢書4』と書いてあります。 新進作家の志賀直哉君が頑張って書いた本、ということですね。 この本の最後の部分に『新進作家叢書』の広告として、既刊の1から3までの作家が、武者小路実篤、里見とん、豊島與志雄と並んでおり、さらに続刊として、谷崎精二、長與善郎、久米正雄、芥川龍之介、うんぬんと名前が並んでいます。 こういう続き物の企画の出版って、一番最初の本に一番の人気者を置くんですよね。とすれば、この時期の人気一等賞は武者小路と言うことでしょうか。なるほどねー。 昔の本とか雑誌を見ていると、広告の部分つまり同じ出版社の書籍の宣伝部分がとっても面白かったりしますね。 なるほどそのころはそんな評価だったんだなーとか、この作家は消えてしまったよなーとか、要するにこれは、時が経つといろんな事が恐いように見えてくるということで、うーん、作品を発表するというのはなかなか大変なものですよねー。 そんな、本書は復刻本であります。 だから、この本には7つの短編が収録されているのですが、今では全集以外では読めないような作品も入っているはずです。 参考までに、ちょっとタイトルを並べてみますね。 『大津順吉』『不幸なる恋の話』『憶ひ出した事』『清兵衛と瓢箪』 『出来事』『児を盗む話』『母の死と足袋の記憶』 昔私は、志賀直哉の作品については新潮文庫で読んでいたのですが、手元にある志賀直哉新潮文庫6冊中収録が重なっているのは、『清兵衛と瓢箪』『出来事』『児を盗む話』の3作であります。 面白さで言えば、『清兵衛…』が圧倒的に一等賞でしょう。以前にも本ブログで触れましたが、志賀直哉の作品は、心境小説ではなくて、客観小説の方が、単純に、純粋に、圧倒的に面白いと思います。 ところで、リアルタイムで出版された短編集と、後々に編集された短編集との間に、3作品が重なっているというのは、多いんでしょうか、少ないんでしょうか。 つまり、リアルタイム短編集の『大津順吉』の評価として考えて、ということで。 こうして文学史の教科書(ブック・オフ105円)を読みながら古い文庫本を探して読書していますと、それなりにいろんな事が分かったりします。 その一つに、やはり文学史の教科書に取り上げられる作品は、その作家の作品の中では頭一つか二つ飛び抜けて面白いものだと言う「法則性」があります。 それはなかなか見事なもので、隠された名作というものも中にはあるのでしょうが、そんなのは大概例外です。あるいは作品の面白さ以外の部分で選抜されていないのじゃないかと思います。(教科書ならやはり性的なもの、とかですかね。) さて、そんな「法則性」に則って本短編集の収録作品を見ますと、やはり見事にそのものなんですが、総題になっている『大津順吉』という作品が、分量で言えばほぼ半分を占めています。 『大津順吉』はしかし、上記記述にある新潮文庫6冊の中には入っていません。 私はこの度初めて読みましたが、うーん、何とも読みづらい作品でした。(というより、元々志賀直哉の心境小説は、ちょっと私、苦手なんですが、『城の崎にて』以外。) でも、『大津順吉』は志賀直哉について論じられた文章の中には、割と取り上げられることの多い作品であります。 かつて三島由紀夫が、作家の秘密が解ける作品は、得てして失敗作にあるというようなことを書いていたように記憶します。確かに言われればそんな気がしますよね。 その時三島は、谷崎潤一郎について、『金色の死』を取り上げて論じていました。 さて本書でいいますと、7作中5作半が「心境小説」であります。(「半」というのは『児を盗む話』の扱いをそうしました。) うーん、つまんないんですよねー、わたくしとしては。 先日、太宰治の『如是我聞』を読んでいたのですが、あのヒステリックな、大人げないような志賀直哉への個人攻撃ですが、志賀の心境小説を読んでいると、なるほど太宰ならそう思うかも知れないなと言うことが、ひしひしと感じられます。 太宰は、志賀直哉のことを、何だってあんなに威張っているのだ、と書きましたが、実際そんな感じでありますね。 でも、落ち着いてじっくり、太宰作品と志賀作品を読み比べれば、作品として成立している基本的部分はとてもよく似ているように思えてきます。 志賀作品は、主人公が感情(多くは怒り・不愉快)のままに周りを不愉快にし、そして自分がさらに不愉快になっていくという話です。 一方太宰作品は、主人公が薄志ゆえに周りを不愉快にし、そして自分が一番傷つくという話でしょう。 結局、太宰の志賀への反感は近親憎悪といったものと、そして、これ要するに「相性の違い」としか言いようありませんよねー。 また三島由紀夫を出しますが、彼は羞恥心の方向性が異なると、両者は根元的に分かり合えないと書きましたが、この二人はそんな感じであります。 えー、冒頭作品の感想から隔たってしまいましたが(そしていつもながらのまとまりのない文脈になってしまいましたが)、今回の読書は、わたくし、ちょっと苦手なものでありました。 うーん、どうも、申し訳ありません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.01.28 15:56:57
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