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2012.02.04
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カテゴリ:昭和期・中間小説

  『愛』井上靖(角川文庫)

 三つの短編が収録されているごく薄い短編集です。収録作品のタイトルはこれです。

  『結婚記念日』『石庭』『死と恋と波と』

 筆者の、ごく初期の短編集という事で、筆者が芥川賞を受賞したのは昭和25年でその後一年以内に書かれた短編を、総題のテーマに従って集めたものなんでしょうね。

 しかし、まー、何といいますか、ちょっと「凄い」感じのする総題ですね。
 なかなかこんなに大上段から観念の固まりで直球勝負してくるタイトルは、今となっては少し考え難いような気がしますが、そんなことないでしょうか。

 (ついでの話しながら、こんな大上段から斬りかかるようなタイトルに違和感を表明し始めたのは、劇作家のつかこうへい辺りの時代からではなかったかと思います。それ以前は、こんな大層なタイトルは普通にあったのかしら。そう言えば『愛と死を見つめて』なんてタイトルのベストセラーもありましたものね。)

 というわけで、ごく薄い本なんですが、この3作の短編小説のうちで私が一番面白かったのは、3つ目の小説です。
 自殺を企て死に場所を旅先で探していた男が、たまたま同じホテルで同じ事を考えている女に出会うという話ですが(こうしてあっさりまとめてみると、改めて小説家というのは本当に「ヘン」なことを考えつくものだなと思いますね)、なぜこれが私にとって一番面白かったかと言いますと、即物的に言えば、ページが一番多かったからであります。

 ページが多いと言うことは、それだけいろいろと書き込むことができて、それが大抵は登場人物の表現の厚みになっていきます。(2作目の『石庭』に私が不満足なのは、その逆ゆえで、短すぎて登場人物の行動に共感できるだけの時間を持ちきれませんでした。)

 それに、作品に一定の長さが保証されれば、それだけ細かなエピソードの数が増え、それがやはり作品世界を重層的にし、豊かにしていきます。
 本作には自殺を企てる主人公が、人生最後の読書としてルュブルックの『東方旅行記』を読むという設定がなされますが(私はこの『東方旅行記』という本は寡聞にして知らないのですが、にもかかわらず)、このエピソードはなかなか作品にリアリティをもたらせているように思いました。

 最近私は、本書を含め何冊か短編小説集を読んだのですが、個々の作品の出来の善し悪しとはあまり関わりがないところで、そもそもこの短編小説という形式はいったい何なのだと思ってしまいました。

 例えば短編小説について三島由紀夫は、自分自身は「短編小説の制作から私の心が遠ざかって行った」として、その理由を以下のように書いています。(新潮文庫『花ざかりの森・憂国』自作解説)

 私のものの考え方が、アフォリズム型から、体系的思考型へ、徐々に移行したことと関係があると思われる。一つの考えを作中で述べるのに、私はゆっくりゆっくり、手間をかけて納得させることが好きになって来て、寸鉄的物言いを避けるようになった。思想の円熟というときこえがよいが、せっかちだが迅速軽捷な連想作用が、年齢と共に衰えるにいたったことと照応している。私はいわば軽騎兵から重騎兵へ装備を改めたのである。

 さすがに上手に説明していますよねー。
 あわせて、短編小説の、長編小説に対する位置づけを後半見事に行っていますが、これが結構短編小説に肩入れをした評価付けになっており、少し珍しい気がします。

 大概の作家は、作品が年齢と共にどんどん長くなっていって(最晩年に至るとまた別でしょうが)、短編小説を軽んじる如くに見えるのですが(村上春樹などでも、小説がどんどん長くなってきていますよね)、三島はそれを、加齢による運動能力の低下とほぼ同等視しているのが、なかなか客観的でいいですね。

 そのように考えると、私が最近短編小説をいくつか読んで、そもそも短編小説とはなんぞやと思ったというのは明らかに短編小説に不満足であるからですが、その不満足の正体は、私の小説鑑賞能力の「円熟」にあるのではなく、短編小説に対する反応力が、あたかもみるみる衰えつつある動体視力のように、「年齢と共に衰えるにいたった」に過ぎないということが、みごとに解き明かされます。

 なるほど全くその通りで、本書を読んでいた時に私が抱いたいくつかの違和感の正体がこれでほぐれていき、と同時に私は少々、齢を重ねることの楽しみと又淋しさについて感じるのでありました。


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Last updated  2012.02.04 08:27:25
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