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カテゴリ:明治期・明治末期
『煤煙』森田草平(岩波文庫) 森田草平であります。 「漱石山脈」であります。 漱石の弟子の「四天王」(こんな言い方には全くといって意味はありませんね。)の一人といわれています。 しかし、晩年の漱石は、自分の弟子に出来の良いのがほとんどいないことを、確か禅宗か何かのお坊さんへの手紙に書いていましたね。 なるほど、漱石山脈と書きましたが、そのメンバーを文学者、特に実作者に限って言えば(というのは、哲学系の人なんかもいらっしゃいますが、そっちのことについては、私はほぼ無知でありますゆえ)、確かにそんな感じがします。 例外は、芥川龍之介一人だけでしょうね。でも、芥川が本当に漱石の「直弟子」であったかどうかは、微妙に分からないところですよね。 確かに、芥川の作品を漱石が褒めたことで、芥川の文壇デビューはなったといわれていますし、漱石のお葬式で芥川は受付をしたりもして、そしてそのついでに、芭蕉の臨終の場面に模して漱石の臨終を描き、その時の弟子達の心がバラバラであった様を『枯野抄』で描いたりしていますが、そもそも芥川の文学的資質は、漱石によって育まれたとはあまり言えないようなところがあると思うんですが、いかがでしょうか。 というふうに、芥川を漱石山脈から外してしまうと(少なくとも「直弟子」から外してしまうと)、確かに漱石山脈は大いに「不作」であります。 まず、現在まで残っている作家を挙げようとして、名前をちっとも指で折れないではありませんか。一体、誰がいますか? で、冒頭の「四天王」に戻るのですが、ちょっと調べてみたのですが、この「四天王」のメンバーは、実は確定していなさそうであります。 説明によって、少しメンバーがまちまちなんですよね。(まー、当たり前といえば当たり前で、こんなの、どーでもいいことの極北みたいなものですから。) ま、とりあえず、鈴木三重吉・小宮豊隆・安部能成・森田草平というあたりの説明に則って、森田草平は漱石山脈の「四天王」と考えてみます。 というところで、ちょっと私に、とっても下世話な興味があるんですがー。 それは、これらの弟子達の中で、もっとも漱石が愛していたのは誰であったろうか、という興味であります。 どうです? もちろんどーでもいいものではありますか、何となくちょっとだけ、興味深いでしょ。 でもそんなもの、どうして調べるんだということで私が考えついたのは、漱石の書簡集であります。 誰への手紙が一等多いか、という調査でありまして、まー、そもそもの「問題意識」が、客観性のかけらもない事柄でありますゆえ、その調査証明方法もいっそこれくらい「偏」したもののほうが良いのではなかろーか、と。 ということで、私は早速我が家にある、もう30年ほども前に買った岩波書店の新書版『漱石全集・第31巻』の「書簡番号総索引」のページを開いたのでありました。 ……うーむ。 その結果ですが、あのー、最初にもう一度この調査の客観性のなさを改めて述べておき、それから結果発表しますね。 まるで、くだらねー、と。 でも、こんな結果であった、と。 鈴木三重吉宛→73通 小宮豊隆宛→121通 安部能成宛→13通 森田草平宛→61通 と、まー、こんな感じで、小宮豊隆の圧勝であります。 参考までに、芥川龍之介宛は5通でありました。そして、小宮豊隆宛の数が私の見た「書簡番号総索引」の中では一番多い数字でありました。 なるほどねー、小宮豊隆がもっとも漱石に愛されていたって訳ですか。小宮は確か、『三四郎』のモデルに目されたりしていますものねー。 ……って、本当に意味のない記述になってしまいましたが、しかし、森田草平も漱石にかなり愛されていたことは確かでありましょう。 だって、今回報告するような小説を森田に書かせ、さらにそれを朝日新聞に連載させ、そして、ほぼ社会的に抹殺されかかっていた森田草平を、一気に人気作家にさせてしまったのですから。 でも、「出来の悪い弟子」の作品は、……うーん、何といいますかー、「煤煙事件」からすでに1世紀以上を経た現在(いわゆるモデルとなった「煤煙事件」は1908年・明治41年であります)、読んでみると、なかなか、なかなか、……。 以下、次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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