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カテゴリ:昭和~・評論家
『戦中派天才老人・山田風太郎』関川夏央(ちくま文庫) 山田風太郎は、このブログでかつて一度取り上げたことがあります。 このブログの数少ないコンセプトは、高等学校で用いられている『日本文学史』の教科書に近現代文学として取り上げられている小説家を対象とするというものであります。 (そもそもの初めは、そんな教科書が大型古書店舗で105円で売っていたのを買ったことから考え出したという、そんな安易なものなんですがー。) しかしそんな教科書には、山田風太郎は出てきませんね。江戸川乱歩も出てきません。司馬遼太郎だって危ないところです。そこでもう少し「規制」をゆるめまして、風太郎も乱歩も(乱歩は何回かにわたって書いています)、さらに国枝史郎なんかも書いてみました。(取り上げた国枝史郎の作品は三島由紀夫が絶賛していたもので、こういう、文学史教科書に載っている作家が褒めている小説、ってのもけっこう選ぶポイントにしています。しかし、そう考えれば何のことはない、たんなる「権威主義」でありますなー。) 文芸評論家においても同様のことが言えます。 これも放っておくと、小林秀雄くらいしか文学史教科書には出てきません。 まぁ、小説がベースという考え方でしょうからそれでもいいのかなとは思いますが(一方で、日本の文芸評論には歴史に残る作品が少ないことも事実のように思いますが)、斉藤美奈子なんかも取り上げてみましたし、そして、今回の読書報告の作者、関川夏央もであります。 本書にこんな表現があります。 「元来、手品みたいなことが好きなんだな、ぼくは。手品みたいなことばっかり書いている。しかし、これは文学じゃないんだな」 ――それは志賀直哉が長生きしすぎて、志賀先生が好まなかった作物は軽んじられた、そのせいでしょう。ぼくも手品が好きですよ。手品みたいな文学が大好きです。 少しだけ説明をしておきますと、本書は「座談的物語」(筆者の表現)になっていて、一重カギでくくっているのが山田風太郎の発言という形になっています。 そんな長編インタビューみたいな本書ですが、前半のテーマは主に「老いと死」であり、後半のテーマは、山田風太郎の半生を追いながら「戦中日記」を中心に語っています。 後半も悪くはないですが、切れ味の良いのは前半です。 筆者自身が再三指摘していますが、「老いと死」をめぐる山田風太郎の発言は、全編これアフォリズムといった体を成しています。 例えばこんな感じ。 ――人間には、他人の死やボケをやたらにおもしろがるところがあります。 「そのかわり、自分の死だけには驚く虫のいい動物でもあるね」 「(略)そもそも人間は、自分で死にかたを選べない。大半の死は推理小説のように、本人にとってもっとも意外なかたちでやってくる。いわば、人生の大事は大半必然にくるのに、人生の最大事たる死は大半偶然にくる」 「千人近くもの人の死を見て思うことは、人間の死には早すぎる死か遅すぎる死しかないということだ。主観的にも客観的にも早すぎず遅すぎず、ぴたりといいところで死んだ、などという幸福な人間はまずいない」 「千人近くもの死を見て」という部分は、山田風太郎の怪作『人間臨終図巻』の事を指すのですが、この作品がまた、びっくりするような面白い作品であります。 そして後半の「戦中」の部分は、山田風太郎自身も認める「戦中派」という世代の一般的共通認識というとらえ方に、基本的には収斂しつつ、しかし随所に独自の鋭い観察眼が光ります。例えばこんな所。 「よく思うんだが、軍事教練ほど軍に害を呼んだものはない。どの学校でも学生たちは教練の将校をばかにしていた。中学だけじゃない、東京医専でもおなじだった。また、実際ばかにされても仕方のない人物が多かったんだ。そのやりかたも不合理そのものだった。そのせいで当時の知識青年たちは誰も軍人を尊敬しなくなったんだな。それは戦後にも引きつがれていて、戦後という時代の色調のひとつをつくった。一大愚行といわざるを得ない」 こういう「透徹した」視線は読んでいてとても面白いですね。イデオロギー的なものから離れた、純粋な知性というものの美しさのような気がします。 と、そんなことの書かれた本書でありますが、筆者関川夏央の功績は、例えば日本人に圧倒的人気を誇る歴史上の人物坂本龍馬の明るさが、司馬遼太郎の作品によって作られたように、山田風太郎の風貌を、木訥とした天才老人に「設定」したことでありましょうか。 これこそが、筆者の「批評」内容であり、そして実に見事な人物紹介といえましょう。 私は関川夏央の本をいつもとても面白く読むのですが、読むほどに、そこに張り巡らされている仕掛けをつい考えてしまうのは、本当は少々品のない読書法であるのかも知れませんが。……反省。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.05.10 06:39:08
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