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2012.05.17
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  『武蔵野夫人』大岡昇平(新潮文庫)

 前回の続きであります。
 前回書いていたのは、若かりし頃読んだフランス心理主義小説はとっても面白かったな、という愚にもつかない我が懐旧談でありました。どうもすみません。
 そこでこれ以上の前回のまとめは放っておいて、進んでいきます。

 さて冒頭の小説を読み始めまして、しかし大岡昇平の心理主義小説的な書きぶりは、私としては実に懐かしかったのであります。
 若い頃こんな感じの小説を(そのほとんどは恋愛小説ですね)けっこう読んだよなー、と思い出し、とても嬉しかったです。
 いかにもフランス心理主義小説っぽくて、がっちりと登場人物の心理を解剖学者のように「腑分け」しつつも、エレガントさは残してとても優雅な感じがしました、少なくとも、半分くらいまでは。

 ……うーん、しかしねー、何といいますかー、舞台は第二次世界大戦敗戦後、わずか数年の日本なんですよねー。
 例えば登場人物の男女が、初めて二人きりで旅行をするシーンで、混み合った列車に共に乗っているのは、満員の「買い出し」の人々であります。

 もちろん作者は、そんな事は分かっていながらこのシーンを書いているのですね。つまり、敗戦後の日本を舞台にして、フランス心理主義的恋愛小説をいかに形造るかという「挑戦」を、筆者は行っているわけであります。

 そして、その結果はどうなったのでしょうか。
 冒頭にも書きましたが、作品前半かなり優雅に書かれていた展開が、後半なんだか「貧相」な、コメディアスなものになっていきます。
 それは、ストーリーとしてみますと、主人公である「武蔵野夫人」道子の「恋人」の勉が、一緒に住んでいた家を出て行くからですね。
 それが結果として、去る者日々に疎くなる状況になってしまったわけであります。
 しかし一方で、こんな説明があったりもします。

 最後にまた勉と一緒に暮す幸福の幻影が浮んだが、彼女はそれも打ち消した。それは二人もまた秋山や富子と同じ畜生道に陥ちることだ。それじゃなくっても、あの子はあの女の肩へ手をかけたりするような子なのに。そうだ、財産を残したら、あの子だって少しは思い知るだろう。自分はやはり死なねばならぬ、と思い定めて道子は父の墓前を離れた。

 筆者は、もちろんこういった感じ方に対して「批判的」であるのでしょうが、筆者の批判はともかく、このような考え方が一般的感性として根強く息づいている国民集団に「不倫小説」を定着させるのは、実際なかなか容易なことではありませんよね。
 道子は「死なねばならぬ」と思い詰めるわけであります。
 そして、さらに「死ぬ」ことについて、こんな風に書いてあったりします。

 墓石は無論答えなかったが、武士の子であった父が、よく自分は死生観について筋金が入っていると自慢していたのを思い出した。
「私の子供のころ、日本人はまだよく腹を切ったものです。キリスト教が自殺を禁じているのは、奴隷にどんどん自殺されては主人が損するからですな。儒教にはそんなふやけた思想はありません。死んで死に甲斐がある時自分を殺す。これは立派な君子の行為ですからな。わが国の切腹は儒教の当然の帰結です」


 私の連想はここでふと、別の小説に飛ぶのですが、本作の書かれたのは1950年(昭和25年)であります。ベストセラーになりました。
 そして同じく戦後ベストセラーになった太宰治の『斜陽』の発表は、1947年(昭和22年)であります。

 それぞれの作者の意図も違いますし、作品の狙いも違いますので単純な比較は出来ませんが、『武蔵野夫人』より3年前に書かれた、『斜陽』の主人公和子の「恋と革命」意識が、いかに斬新な価値観を表現したものか、一方の道子の旧弊なモラルとの隔たりに(もちろん大岡昇平は、そんなモラルを持つ主人公として描いたのですが)、私は少々驚いてしまいました。

 そういえば、どちらも金も物資も何もない戦後日本を描きながら、太宰はそんなものは何もなくても、『桜の園』のように『斜陽』を描きました。
 大岡の本作は、心理小説としては一定のレベルは保っているとは思いますが、私としては読者の「わがまま」で、今回読まなかった太宰の「新しさ」に、改めて目を洗われるような気がしました。
 少々申し訳ないまとめではありますが。


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Last updated  2012.05.17 06:43:34
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