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2012.05.24
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カテゴリ:明治期・耽美主義

  『厭世家の誕生日』佐藤春夫(岩波文庫)

 これはなかなかおもしろい短編集でした。7つの作品が入っていますが、それぞれ趣向が異なっていて、もちろん好みもあるでしょうけれども、ことごとくが面白い、というより作品としてのレベルが高いと思いました。

 含まれているほとんどの短編がよくできているという短編集は、実はさほどないんじゃないかと私は思っているのですが、はて、どんな短編集が頭に浮かぶでしょうか。

 やはり総集編みたいなものが浮かびますかね。流行歌で言えば『グレイテスト・ヒット』ですね。
 シングル版のA面の曲ぱかり集めたやつですね。(って、シングル版のA面の曲っていう言い方は、今でも通用するんでしょうか。そもそもレコードのシングル版に準じたものは今でも売っているのでしょうか。そういう売り物から離れて久しくなりますもので、よく分かりません。)

 ともあれそんな「グレイテスト・ヒット」みたいのを集めた、収録作品どれも出来が良いという感じの短編集として私の頭に浮かぶのは、岩波の太宰治の作品集、新潮の織田作之助の作品集、岩波の森鴎外の小説をやめて史伝の世界に入っていく辺りの短編集、それから、岩波の上司小剣の『鱧の皮』もよかったかな、そんなあたりですかね、ぱっと浮かぶとしたら。

 「グレイテスト・ヒット」じゃないトータルアルバムのLPみたいなので言えば、これはもっと浮かばなくなりますね。そもそもこの手の本はあまり出版されていないんじゃないでしょうか。短編集はあまり売れないと聞きます。
 私としては、村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』を挙げたいと思います。村上春樹は充実した短編集をたくさん出していますが、それでも全作出来がよい(私の好みに合う)となると、この一冊が一等賞だと私は思います。

 後、こんな短編集があったらなぁと私が勝手に思っているので言いますと(ひょっとしたら、実際にあるのかも知れませんが)、志賀直哉の客観小説ばかりを集めたもの。筆者に重なる一人称の怒りっぽいおじさんの出てこないヤツ。『清兵衛と瓢箪』みたいなヤツばかりの。
 そして、芥川龍之介の切支丹ものばかりの短編集もきっと面白いでしょうねぇ。

 と、まぁ、「妄想」まで含めてあれこれ考えますと、それなりに面白そうな短編小説集は浮かびますが、さて冒頭の短編集に戻って、この短編集を上記の「短編集ジャンル」でいいますと、これは「グレイテスト・ヒット」型になりますかね。自選の初期短編集になっています。(と、前書きに筆者自身が書いています。)
 とにかくとてもレベルの高い短編集であります。収録作品はこの7つです。

   『西班牙犬の家』『お絹とその兄弟』『一夜の宿』
   『星』『旅びと』『侘びしすぎる』『厭世家の誕生日』


 まず冒頭の『西班牙犬の家』が、わずか文庫本12ページながら、読者の意表をつく素晴らしいできばえであります。この作品の後、『お絹とその兄弟』『星』などと読んでいきますと、この作家が確かに浪漫主義作家で、かつ浪漫主義の面白さを満喫させてくれる作品ばかりが、本当に次々と現れてくるなあと思います。
 なるほど谷崎潤一郎などと「血縁」ぽい小説であります。

 そしてその谷崎に絡む作品が『侘びしすぎる』でありまして、私は以前より本作については名前は知っていましたが、読んだのは初めてであります。
 以前より名前は知っていたというのは、この作品は谷崎の最初の妻を巡って、谷崎がいかにも谷崎的なわがままを行った結果、佐藤春夫との仲が絶交状態になった、後の「細君譲渡事件」をモデルとした小説だからであります。

 今を遡ること既に何十年もの話でありますが、私の大学の卒論の中心作品が、谷崎側からこの事件の周辺を描いた『蓼食う虫』という長編小説でありました。
 だから当然この『侘びしすぎる』もその時に読んでいなければならなかったはずなのに、なぜ読んでいなかったのかと思い出しますと、……というか、そんな昔の話は思い出しようもないんですが、今考えますと、そのころの私は、ひょっとして谷崎寄りの感覚を持っていて読まなかったのでしょうかね。

 というのも、このスキャンダルは文壇ではやはりかなり有名で、いろんな人がいろんな論評をすることについて、谷崎もけっこう苦々しいものを持っていたようですか、彼が最も堪えたのが、佐藤春夫の『秋刀魚の歌』とこの『侘びしすぎる』だったというのを、私はどこかで読んだような気がします。

 なるほど、この作品の出来は、かなりいいですよね。
 単に主人公を巡る三角関係を書いただけではなくて、主人公の弟夫婦のこれまたややこしい関係を絡ませているのが、とても作品に奥行きを与えて、モデルとなった出来事を見事に文学的に昇華しています。

 そして、何より文体が素晴らしい。今回の7つの作品は、文体としては2パターン的に私は感じるのですが、一つはいかにも浪漫主義的な濃厚な文体。もう一つはその濃厚さを少し嫌ってノンシャランな感じを漂わせた文体。
 どちらも素晴らしいですが、この『侘びしすぎる』はこの両者が渾然一体となったような名文であります。

 考えてみれば佐藤春夫といえば、あの散文詩のような『田園の憂鬱』を書いた作家であります。文章が下手なはずがありません。
 にもかかわらず、なぜ私は、今回佐藤作品を見直すという、ある意味今までの評価が不当に低い感覚を持っていたのでしょうか。

 かつて谷崎経由で読み始めたことが、案外誤った評価に繋がっているように思えて、なるほど作品との出会いというのも、現実の人間の出会いと同じで、いろんな偶然がいろんな判断を生み出してしまうものだなと、私はつくづく感じるのでありました。


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Last updated  2012.05.24 23:31:59
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