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2012.08.10
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カテゴリ:大正期・白樺派

  『棘まで美し』武者小路実篤(新潮文庫)

 三角関係の話です。

 ……と、書いたら、それで終わってしまいそうな気もしないではありません。
 しかし、恋愛小説と三角関係というのは、まー、切っても切れないものなんでしょーかねー。

 例えば、……といって、思いつくままに近代日本文学の恋愛小説を書いてみます。
 ……まず、『春琴抄』。これは、三角関係とは少し違うような気もしますね。独自の恋愛世界です。

 独自の恋愛世界といえば、古井由吉の『杳子・妻隠』ってのを思い出しましたが、これも三角関係というのとはちょっと違います。鴎外の『雁』は、どうでしょう。もう一作近いところで、水村美苗の『本格小説』は、どうでしょう。
 この辺はひょっとしたら、三角関係に入れて良いかも知れませんね。

 一方で、やはり漱石の『こころ』があり、武者小路の『友情』があります。これらは、まがう事なき三角関係恋愛小説であります。

 と、書いてきたら何となく分かってきたんですが、やはり三角関係はお話になりやすいんでしょうね。「恋愛小説の定番メニュー」という感じです。
 しかし単なる表面的な恋愛小説では終わるまいと作家がもう一歩踏ん張ると、三角関係は、作品の中で影が薄くなるか、姿を消してしまいそうです。
 作品内の人物に深みを与えていくと、それはもう、単純な三角関係の葛藤では済まなくなるんでしょうね。男女を越えた人間同士の対決になる、と。(だから、武者小路の恋愛小説は、「カルく」見えたりします。)

 ついでながら、漱石作品が『こころ』を筆頭に、作品的な深みも充分持ちながら、ほとんどすべてに三角関係を扱っているのは、漱石の好みと、持って生まれた「力業」の才能のせいという気がします。でもそれがために、漱石作品は「永遠のロングセラー」となっているわけですね。

 さてここに、武者小路実篤作、三角関係の純粋培養のような名作『友情』と、ほぼ同じ設定を持った『棘まで美し』があります。
 上記に触れたように、漱石作品も次々と、ほぼすべて三角関係でくくることができましょうが、それでもこれほど設定を同くして書いた作品はありません。
 これは、いかにも武者小路的ノー天気さと厚かましさであります。

 ただ、全く同じというわけではなく、冒頭の本作は、2点において『友情』と異なっています。

 (1)「僕」という50歳くらいの画家を、
    「狂言回し」の役割としていること。
 (2)三角関係を演じる二人の男の職業を画家にしていること。

 この二つが大きく違っており、そしてこの違いは、『棘まで美し』の読後感をけっこう新鮮な感じにしています。筆者は「ノー天気」なふりをして、なかなか「策士」であります。特に、画家というのは、とても着眼のよいところだという気がします。

 わたくし、思いますに、武者小路実篤は文学者であるよりも、美術家になりたかったのではないか、と。事実、武者小路は中年過ぎから絵をしきりに描いて、そして、その絵画作品は、一定の高みにまでは、まぁ、達しているとも思います。(でも、やはりたいしたこと無いかも知れませんが。)

 以前私は、芸術的な才能と人格との間に相関関係はあるかと考えたことがありました。
 あれこれ考え、そして一応自分としての到達点としたのはこんな事でした。

 そもそも美しいものには二種類あって、それは「天上的」な美しさと、「人間的」な美しさであります。
 そしてその芸術が主にどちらの「美」を目指すか(個々の作品レベルで考えてもよいですが)によって、芸術的才能と人格は連動するケースもある、と。

 ……と、そんな愚にもつかないことを考えていたんですが、それに基づいて、文学と美術を比べますと、美術の目指す「美」のほうが、はるかに「天上的」な気がします。(音楽はもっとそうでしょうが。)つまり単純にいって、美術的才能と人格との相関は、文学的才能と人格よりも低い、と。

 『友情』は1920年、筆者35歳、『棘まで美し』は1930年、筆者45歳の作品であります。
 わずか10年しか経っていないながら、筆者の思索の方向は、この10年間でより美術家的なものを求めたのかも知れないと思います。
 それは、一般的評価はともあれ、筆者の資質にはより合致する方向であったと、私は思うものであります。


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Last updated  2012.08.10 11:06:25
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