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2013.02.03
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カテゴリ:明治期・耽美主義

  『台所太平記』谷崎潤一郎(中公文庫)

 本書の解説文を、作家の阿部昭が書いていますが、その中にこんな一文があります。

 戦前は中流どころの家庭では女中は置かないほうが珍しかった。彼女たちが現代のお手伝いさんと違ったのは、衣食住のあらゆる差別にもかかわらず、利害打算を超えて「家」と「家庭」に献身すべき名分を持っていたことである。「家」と「家庭」というこの二つのものの実体が「主人」や「奥さん」とともに消滅した時、「女中」もただの労働者になった。

 わたしはふっと思いだしたのですが、漱石の『門』にも女中は出ていました。
 お金が無くて陽当たりの悪い崖の下に住んでいる安サラリーマンの主人公の家庭でさえ、女中を雇っていました。そしてそれは、明治という時代において、人件費というものが極端に安いものであった結果だと、後日何かの本を読んだ時に知りました。

 上記の文章の中に「名分」という言葉が出てきます。ちょっと辞書で調べますとこのように説明されています。(岩波国語辞典)

 名分=臣・子などという名の身分に応じて守るべき本分。

 ふむ、なるほど、そういう意味ですか。この語に続いて別の語を連想したもので、私はそれもついでに調べてみました。

 分際=社会における身分・地位。身のほど。

 やはり同種の言葉であることが分かりますね。
 仮に上記の引用文の「名分を持っていた」の部分を「分際であった」と置き換えると、表現のニュアンスは甚だしく異なってきますが、言っていることはたぶんあまり変わらないとも思います。

 私は一体何が書きたいのか、実は自分にもよく分からないで書き出しています。
 要は、このような表現に、私がある抵抗感を持っているのだとは思いますが、その私の感じ方が正しいのかどうか、どうもよく分からないのであります。

 先日私は太宰治の『黄金風景』という掌編小説を読んでいましたが、この中にも女中が出てきます。
 主人公の家にかつて雇われていた女中が、その後結婚して所帯を持ち、結婚相手の巡査がたまたま主人公の家にやってきたという展開ですが、その巡査がこんな科白を言います。

 なんといふか、まあ、お宅のやうな大家にあがつて行儀見習ひした者は、やはりどこか、ちがひましてな。

 太宰の『黄金風景』は、終盤とっても感動的なお話になるのですが、ストーリーの紹介は置いて、終わりの方に、かつての女中・お慶のこんな科白が出てきます。

「なかなか、」お巡りは、うんと力をこめて石をはふつて、「頭のよささうな方ぢやないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ。」
「さうですとも、さうですとも。」お慶の誇らしげな高い声である。「あのかたは、お小さいときからひとり変つて居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すつた。」


 一連のこんな展開を読んでいますと、確かに「女中」と「お手伝いさん」(=「ただの労働者」)とは、その社会のおける位置づけがかなり違っているような気がします。

 さて、冒頭の小説の読書報告から大きく逸れている気がするのですが、申し訳なくもいつもの私の悪い癖だとお許しいただいて、それでも少し戻ってみたいと思います。

 実は我が家には、この『台所太平記』の文庫本が2冊ありまして、こういったパターンは、まぁよくあることと少々居直ったことを以前にも書いた気がします。
 よーするに、買っても読んでいなかったものだから、買ったこと自体を忘れてしまったわけですね。(本の場合は、とにかく一度読めば内容はほとんどすべて忘れても、読んだということは何となく覚えているもので、この辺はクラシックのCDとは違いますね。クラシックのCDは、私の場合、2枚同一CDのある率は本よりもかなり高いです。)

 ところが今回の本書は、読んでいる途中で、おや、これは一度読んだぞと気付きました。そして思いだしたのは以前私は本書を途中で止めてしまったのだと言うことと、なぜ途中で止めたのかその理由も思いだしました。
 それが、上記の「抵抗感」であります。そして「抵抗感」を感じた個所も分かってきました。例えばこんな部分です。

 それにつけても、磊吉はよくそう思いました、たとい容貌は醜くてもこれだけ立派な身長と体格を持っている娘が、もし大都会の相当な家に生れ、衣装持ち物やお化粧に念を入れて育ったら、恐らく今の十倍も二十倍も引き立って見えたことであろうに。あの顔だって、せめて女学校でも卒業していたら、あの眼にも知的な輝きが満ち、あの造作のどこかしらにも、一種の魅力を具えるようになったであろうのに。と、そう思いますと、九州の果ての貧しい漁村に生れた初がまことに可哀そうでした。


 今、改めて考えますと、このような文章に抵抗感を感じるのは偽善であろうかなという気がします。
 しかし私は、この感覚を結局作品最後まで拭えず、そもそもそんなに深刻な小説でもありませんので、それなりには読み終えましたが、作品内容とは離れたところで、読みながら私の生き方の「ねじれ」のようなものを、ずっと感じていたのでありました。


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Last updated  2013.02.03 12:04:38
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