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カテゴリ:昭和期・後半男性
『東京奇譚集』村上春樹(新潮社) 村上春樹の新刊小説が出まして、そして村上春樹の新刊が出るということはもはや社会的な事件のようなもので、そんな話題になる作家は長く日本にいなかったですね。 もちろん私も村上春樹の小説は大好きであります。しかしこの度の新刊はまだ読んでいません。だからこそ、それなりの分量のあるまだ読んでいない村上春樹の小説があるという実感は、とてもわくわくと心躍る嬉しいものです。 そんな作家は、ごく個人的な感じ方ではありますが、やはり長く日本にいなかったような気がします。 さて、そんなことがやはりきっとわたくしの深層心理に影響しまして、この度冒頭の本を再読してみました。再読なんですが、前回読んでからかなり経っていたので、ほとんどストーリーを覚えていませんでした。 そもそも村上春樹という作家はきわめて勤勉な作家で、とても「安定的」に書籍を発行なさいます。 翻訳ができるということも大きな強みなんでしょうが、軽いエッセイやインタビューの類まで入れると、ほぼ毎年のように村上春樹がらみの新刊が出されているはずですね。そのうちの「目玉」的な本は限られた出版社から出ているようですが、それでも出版業界全体に、計り知れない多大なる文化的功績と経済的効果を生みだしていらっしゃいますね。実際その勤勉さにはつくづく頭が下がります。 ……えーっと、私は何が言いたかったのかといいますと、再読ながら、ほとんど新刊のごとくに本書を読んだと言うことなんですが、にもかかわらずそれは、見事に読み慣れた「村上ワールド」でありました。 この短編集には五つの物語が収録されています。 きわめて個性的に、バラバラに、五つの物語が作られています。しかし、そこに流れている大気というか香りというか、はたまた音楽というか、そういったトータルな雰囲気は相互に関係し合う一つの円環のようなまとまりです。 例えばこんな部分。 「ねえ、淳平くん、この世界のあらゆるものは意思を持っているの」と彼女は小さな声で打ち明けるように言った。淳平は眠りかけている。返事をすることはできない。彼女の口にする言葉は、夜の空気の中で構文としてのかたちを失い、ワインの微かなアロマに混じって、彼の意識の奥に密やかにたどり着く。「たとえば、風は意思を持っている。私たちはふだんそんなことに気がつかないで生きている。でもあるとき、私たちはそのことに気づかされる。風はひとつのおもわくを持ってあなたを包み、あなたを揺さぶっている。風はあなたの内側にあるすべてを承知している。風だけじゃない。あらゆるもの。石もそのひとつね。彼らは私たちのことをとてもよく知っているのよ。どこからどこまで。あるときがきて、私たちはそのことに思い当たる。私たちはそういうものとともにやっていくしかない。それらを受け入れて、私たちは生き残り、そして深まっていく」 こんな小さな引用部分ひとつを取ってみても、毛細血管に染み渡っているように末端にまで「村上ワールド」の魅力を読み取ることができます。 地の文に見られる、いかにも村上春樹的な比喩。 この繊細に選ばれた言葉の群れのジャンプ力のようなものが、私たちにきわめて深い静謐な感覚をもたらせてくれます。まずこれが「村上ワールド」の原点です。 次に女性の語る言葉の端々から汲み取れる汎自然的な世界観。 これは遠く、村上春樹のデビュー三作目『羊をめぐる冒険』から、連綿と続いている筆者の世界観でありましょう。きわめて東洋的であると感じる一方、今もっとも新鮮な世界に対する切り口という気がします。 そして、セリフの終わりの方にあるこの表現。 「私たちはそういうものとともにやっていくしかない。それらを受け入れて、私たちは生き残り、そして深まっていく」 こんな現実の把握の仕方もとても村上春樹的だと思うのですが、何というかここからは、生き方の根底にどうしようもない欠落(あるいは欠陥とか偏向といったもの)があって、それを受け入れていく意志と痛みのようなものが、きわめて禁欲的に読みとれます。 本書の五つの短編小説に共通するストーリーとは、いわば、これらの村上春樹的世界把握の仕方をあぶり出す、突然の暴力的あるいは特殊な出来事の物語であります。 ある作品は主人公の身近な二人の女性の乳癌にまつわる話しであり、ある作品は鮫に息子を殺される女性の話しであり、ある作品は「それが見つかりそうな場所で」永遠に見つからないものを探す話しであり、……と、それらは実に独創的な展開を取りながら私たちを、生きることに静謐でストイックな人々のいる「村上ワールド」に誘ってくれます。 この心が解きほぐれていくような魅力こそが、たぶん村上春樹の人気の秘密であります。 村上春樹が小説を書き始めたのが一九七九年。 近年さらに魅力増すこの「村上ワールド」の「旬」は、はたしていつまで続くのだろうかと、ふと思ったりします。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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