|
全て
| カテゴリ未分類
| 明治期・反自然漱石
| 大正期・白樺派
| 明治期・写実主義
| 昭和期・歴史小説
| 平成期・平成期作家
| 昭和期・後半男性
| 昭和期・一次戦後派
| 昭和期・三十年男性
| 昭和期・プロ文学
| 大正期・私小説
| 明治期・耽美主義
| 明治期・明治末期
| 昭和期・内向の世代
| 昭和期・昭和十年代
| 明治期・浪漫主義
| 昭和期・第三の新人
| 大正期・大正期全般
| 昭和期・新感覚派
| 昭和~・評論家
| 昭和期・新戯作派
| 昭和期・二次戦後派
| 昭和期・三十年女性
| 昭和期・後半女性
| 昭和期・中間小説
| 昭和期・新興芸術派
| 昭和期・新心理主義
| 明治期・自然主義
| 昭和期・転向文学
| 昭和期・他の芸術派
| 明治~・詩歌俳人
| 明治期・反自然鴎外
| 明治~・劇作家
| 大正期・新現実主義
| 明治期・開化過渡期
| 令和期・令和期作家
カテゴリ:大正期・白樺派
『若き日の想ひ出』武者小路実篤(角川文庫) どうでもいい事柄のような気もしつつ、一方でこれをどうでもいいと言っていいのかなと思う事柄から入っていきます。 その一つは、この本のタイトルです。 このタイトル、どう思います? まー、そもそも、芸術作品とタイトルの関係というものはいったいどういったものなのか、今まで私はあまり考えたことはありませんでした。 「芸術作品」と書いたのは、ふっと文芸芸術以外のことを頭に浮かべたからでありまして、つまり一方の典型に位置するのがクラシック音楽ですね。 クラシック音楽の世界には、少々下品に申しますと「タイトル、クソくらえ」の長い伝統があります。 「タイトル、クソ食らえ」はやはり少々下品すぎる言い回しでありました。訂正いたします。 要するに、タイトルには意味がない、という伝統がクラシック音楽界にはありますね。 例えば『交響曲第6番』と言うタイトルに、作曲家が6番目に作った交響曲という以外の意味はなんにもありません。 考えてみると、鼻白むほどに、実に即物的であります。 一方美術作品はどうでしょうか。 例えば、『最後の晩餐』……。 ……なんか、これは少しは意味があるような気がしますね。 でも、やはり、ちょっと、関連性は低いという気もします。 『ゲルニカ』なんてのは、どうでしょう。 これは地名ではありますが、歴史的にある象徴性を持った地名になっていることで(例えば「ヒロシマ」なんてのもそうでしょう)、ピカソの絵画のタイトルとしての『ゲルニカ』に大いに意味はありそうに感じます。 もしこの作品に違うタイトルが付いていたら、我々の印象はかなり変わっていた気がします。 とはいえ、やはり音楽や美術は、作品名が作品の一部を成しているとは所詮言えないでしょうね。 だってタイトルは言葉であり、音でも空間でも色でもありませんから。 そう考えると、タイトルと作品について考察する価値があるのは、やはり文芸作品だけと言うことが、まー、今更ながら、少し分かりました。 では、タイトルと文芸作品の関係ですが、そもそもタイトルとはどのようにつけるものなのか、私は以前何かの本でちょっと読んだことがありました。 大体この3つの付け方だそうです。 (1)主人公 (2)象徴 (3)テーマ 例えば『三四郎』なら(1)、『それから』なら(2)、『こころ』なら(3)、といったところでありましょうか。 なかなかうまく分類できそうですね。 ところが、今私はあまり何も考えずに漱石作品を例に挙げましたが、漱石作品のなかには上記分類ではどうしようもない作品が一つありましたね。 そう。『彼岸過迄』ですね。 このタイトルは「彼岸過ぎあたりまでこの小説を朝日新聞に連載する予定だ」という、いわば作家の業務メモではありませんか。 こんなん、ありですかぁ。 漱石という人は、そもそもタイトルにあまりこだわらない人なんですよね。 『吾輩は猫である』と言うタイトルは高浜虚子が決めたとか(でも候補を二つまで漱石が絞った後の、その一つと言うことですが)、『門』は小宮豊隆と森田草平が決めたとか、それらしいエピソードが幾つかあり、そしてそれが、一種の「英雄伝説」になってしまっているんですね。(これもふっと思い出したのですが、確か村上春樹は、漱石はタイトルの付け方がうまいと褒めていましたが。) とにかく、「文豪」漱石がそうなんだからと、タイトルに対して「ノンシャラン」なのがかっこいいということにでもなったのでしょうかね。 しかし一方で、こうも思うんですね。 タイトルは、結局の所結果オーライで、タイトルだけこだわることは出来ないんじゃないか、と。 「これはタイトルがいい」と思う作品は、当たり前なのかもしれませんが、結局内容が良いからで、例えば『戦争と平和』が別のタイトルであったところで、我々がこの文芸作品の評価を変えるとは思えませんよね。 では、冒頭の私の問に戻るのですが、この小説のタイトルは、いいタイトルかどうか。 そもそも、このタイトルでは小説かどうかさえ分からないような気がしませんか。 私は、この本を古書店の棚から手に取る時にそう思いました。(もっとも一方では、小説のようなタイトルを付けておきながら、内容は実に下らぬ身辺雑記めいた小説もありますから、まだ良心的なのでありましょうか。) ……うーん、なんかまた「ぼやき漫才」めいた展開になってしまいました。 読後すぐの感想は、「ともあれやはり武者小路実篤はすごい」であったのですが……。 ちょっとだけ次回に続きますね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.06.16 17:17:41
コメント(0) | コメントを書く
[大正期・白樺派] カテゴリの最新記事
|
|