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2013.06.30
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カテゴリ:昭和期・後半男性

  『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹(文藝春秋)

 しかしこのタイトルも、なかなかといえば、なかなかなタイトルですよね。
 でも、そもそも「名前」というものは、そう付けるとそうなっていく、といいますか、結果的に馴染んでいくものでありますよね。

 私もだいぶ昔に、名前付けの最大イベント、我が子の命名をしたことがありました。
 5つほどを最終候補に絞り、その中から付けたのですが、その付けた名前、仮に「A」としますと、「A」は他の候補「B」「C」「D」「E」と入れ替わっていても、付けた当初はちっともおかしくなかったはずですが、今となっては人物「A」は、「A」という名前以外の選択肢は全くないように感じます。

 だからこのタイトルも、慣れればこんなものなんでしょうかね。
 同筆者の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と言う旧作も、新作当初は私は、少々違和感があったように思い出しました。

 で、さて、本書ですが、まー、いちおー、あっという間に読んでしまったもので……。
 あ、まずこの件について述べてみたいと思います。
 この件というのは本作のリーダビリティの高さということでありまして、私の知っている純文学作家の範囲で言えば、やはり村上春樹が一番な気がします。

 谷崎も太宰も漱石も、読んでいるととても面白いですが(太宰は少しレベルに高低差がありますが)、「ワンシッティング」では読めませんね。
 いえ、別に巻を措く能わずでなくてもいいんです。
 今、ふっと思い出したのですが、野上弥生子や河野多恵子の長編なんかは、しばらく読んでは巻を措き、じっと考えて又ページを開く、みたいな事を繰り返す読み方を私はしていましたが、とっても感動的でありました。

 ともあれ、この度私は冒頭の村上春樹の新作長編を、知人からたまたま図書券1000円を貰ったものだから思わず本屋で買ってしまい(いずれ買う予定だったとしても、こんなにまだ売れたての頃に買うつもりはなかったんですね)、そしてまんまとワンシッティングで読んでしまい、さらによせばいいのにアマゾンのレビューまで怖い物見たさに見てしまったんですね。

 で、ふぅ、とため息を一つついて、少し戸惑っているわけです。
 そうなるんじゃないかなという予想はしつつ、やはり最後のアマゾンがいけなかったですよねー。

 つまり、私にはよく分からないんですね。
 レビューに、例えば「数ページ読んで我慢できなくて売り飛ばした」なんて書くことの意味が。
 一方、そんな事を書いてはいけないと言うレビューもあったりします。
 でも、それにも、「なぜそんなことを書いてはいけないのか分からない」という趣旨の感想がひっついていたりします。
 筆者村上春樹に対する人格攻撃の文章も結構あったりします。
 これって、なんなんですかね。読者というのは、そんな権利まであるんですかね。

 こんな言い方をすると、ある種のレビューアーからはいっぺんに馬鹿にされてしまうかもしれませんが、作家に対してであれどんな職業人に対してであれ、正当に行われた「仕事」に対して、最低限の敬意さえ払う必要がない場合ってあるんですかね。

 そういえば、昔、安部公房が「地獄への一本道は善意に満ちあふれている」みたいなことを書いていましたしー。
 それに、上記の私の文の「正当」とは何かについても、人によっては諸説ありそうですしー。

 安部公房といえば、またこんな文章も思い出しました。
 「なぜ書くか」と自問して、公房が自答していた文章です。

 この質問はたぶん倫理的なもので、論理的なものではないはずだ。論理的には質問自体が答えをふくんだ、メビウスの輪である。作家にとって創作は生の一形式であり、単なる選択された結果ではありえない。(『死に急ぐ鯨たち』)

 こういう角度から、アマゾンのレビューを見ると、かなり整理されては来るのですけれど。(やはりポイントは100万部以上売れたってことですかね。)

 ともあれ、今回は、冒頭の小説の読書報告をほとんどしていません。
 こんなケースは、本ブログには過去にも結構あったりするんですが、今回はこの終え方については、個人的にとっても苦いものを感じます。

 いずれ、本作の「騒動」が落ち着いてから、再読し、また考えてみますね。
 でも、一言だけ。
 私は一読、とても落ち着いた深いところまで歩んで来たものだという感想を持ちました。


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Last updated  2013.06.30 13:18:18
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七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
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