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2013.09.22
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カテゴリ:昭和~・評論家

  『昭和の文人』江藤淳(新潮文庫)

 この文芸評論家の本も、わたくし、むかーしに読んだきりで、有名な『夏目漱石』と、後、2.3冊くらい読んだと記憶します。
 『夏目漱石』だけは初読後も何度か部分的にぱらぱらと読んだ覚えがあって(漱石の小説を読んだ後とかにですね)、内容も少しくらいは覚えていますが、それ以外は、もー、ほぼなーんにも覚えてないですねー。いやー、えらいモンです。(って、何が。)
 でもまぁ、そんなことって私の場合、江藤淳の作品以外にもいっぱいありそうなんですけれどもねー。

 ともあれ、久し振りの江藤淳ですが、冒頭からしばらくは結構面白かったです。
 本作は、タイトルから想像できる範囲のいろんなテーマの内のその一つ、「転向」を取り上げているんですね。でも、その取り上げ方が、結構ユニークでありました。

 普通、近代日本文学史における「転向」のテーマと言えば、昭和初年、プロレタリア作家が国家による思想弾圧によってその共産主義的思想を放棄させられることを言いますね。(放棄しなければ、その典型例は、有名な官憲による小林多喜二の拷問死ですね。)

 ところが本書では、もちろんその「転向」も一部含みはしますが、江藤淳が取り上げているもう一つの「転向」とは、昭和20年の敗戦後のアメリカ占領政府下に追求された文人の戦争責任を逃れるための「転向」を指しているんですね。

 これはいかにも、江藤淳らしい問題意識のあり方ですよねー。
 というのも、わたくし、江藤淳について上記に述べた如くほとんど知らないながら、いわゆるマスコミやその他の断片的知識でもって、右っぽい人のイメージを持っているんですが、えー、間違っていませんかね。
 だから、いかにも江藤淳っぽい、と。

 なるほど、考えれば当たり前ではありますが、この昭和初年から約20年間ってのは、いわば「W転向」の時代であったんですね。
 例えば、本編にはちらっとしか出てきませんが、火野葦平ってのは、そんな作家なんですね。
 まず、昭和初年、プロレタリア文学から転向しまして、その後『麦と兵隊』などのいわゆる「国策文学」を書いていたら、今度は敗戦のために一転、戦争協力者として文壇追放されてしまったという。

 んー、まー、あれこれ評価はありましょうが(いわゆる「後付けの評価」ですよねー)、まさに時代が、国家が、個人の運命を弄んでいるとしかいえないような悲劇でありましょう、このケースは。だってこの作家も、仮に20年ほど先に、あるいは後に産まれていたら、こんな事はなかったでありましょうに。

 さて、本書は一応長編評論となっておりまして、主に取り上げている文人は3名です。
 平野謙、中野重治、そして堀辰雄であります。
 ところが、その3名の取り上げ方の関連性が、はじめよく分からないんですよねー。
 いえ、平野と中野とはよく繋がっています。中野重治は昭和初年の転向作家ではありますが、転向後も実にじりじりと共産主義的思想を捨てずに頑張り通した方です。

 一方平野は、一時は左翼的文章を発表しながらもその後は文壇にて戦争協力的な位置を得、そして昭和20年を境に、「忘恩」行為さながらに自らの戦争協力的経歴を否定した、と、まぁ、そんな風にまとめられています。
 ついでに書いておくと、そんな平野に対し中野は、江藤淳曰く「文人が文人に対して浴びせかけた悪罵・嘲笑のなかで、かくも激烈なものはおそらく他に類例がない」という批判をします。

 と、ここまで書くと、どんな批判なのか、やっぱり知りたいでしょ?
 ちょっと、引用してみますね。

 (略)弱点にみちた、ともすれば平野あたりにも一ぱい食いかねぬわれわれ平凡人のレベルからみて下司だといったのである。「高潔で清浄な」誰かに比べて下司だというのならその下司は普通に清浄なのかも知れぬ。私が平野を下司だと言ったのは、そこらに転がっている並の人間以下に下司だと言ったのである。

 と、まぁ、一応、平野と中野は共通「転向」テーマで括れるんですが、次に堀辰雄が出てきて、急にさっぱり分からなくりました、わたくし的には。
 堀辰雄に関して述べられているのは、彼は父親を巡る出生の秘密を持っていたが、それを文学に反映するそのやり方に問題があるんじゃないかという、そんな展開なんですね。

 わたくし、そのあたりを、……うーん、よーわからんなー、なんで、こんな展開になるのかなー、と思いながら読んでいたんですね。で、最後の方になって、やっとこんなフレーズに出会い、あ、そゆこと? と思ったのですが、こんなフレーズです。

 ……(略)架空の小説的時空間が、文学の許容する限界を超えて、まさしく人倫そのものに抵触するような「嘘」で固められていることを、(略)……

 あるいは、福永武彦の指摘としてこんな事も書いてあります。

 フィクションといふものは(私のやうに私小説に反対する立場に立つ者にとつても)無限に可能なのではなく許容される範囲といふものがあり、この場合はその範囲を遙かに越えてゐる。

 なるほど、これだったんだなー、と、思いました。つまり、小説を、人倫的に批評するわけであります。平野中野と堀の話の接点も、ここにあったんですねー。

 実は私は、小説ってのは、全き自由の元に書かれるという先入観を持っている者でありました。
 そして今でも基本的にはその通りに思っているのですが、このように改めて指摘されてみると、「定理」のように思っていたその前提も、否定肯定のどちらを選び直すというのではなしに、もう一度しっかり考え直してみる必要がありそうだなと、思ったのでありました。


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Last updated  2013.09.22 12:16:18
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