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カテゴリ:明治期・耽美主義
『夢の浮橋』谷崎潤一郎(中公文庫) 本ブログあちこちで触れていますので、今さら何を隠そうという気はないのですが、何を隠そうわたくしは大学文学部の日本文学専攻出身で、卒業論文は谷崎潤一郎でありました。 といっても、うん十年も前に卒業した文学部ですから、現在の大学文学部日本文学専攻とは比べようもないと思うのですが、そもそも大学の文学研究って、今でもあるのかしら。 全国の大学から日本文学研究が全くなくなっているってことは、まさかないと思いますが、どこかの人里離れ世間から長く忘れられたような大学で、細々とでも、文学研究をしていらっしゃる篤実な方が、天然記念物のごとくいらっしゃることを、わたくしはただ祈るばかりであります。 さて、閑話休題しまして、話題は谷崎潤一郎であります。 私の卒論は谷崎の『蓼食ふ虫』という作品だったんですね。この作品は、谷崎の作家キャリアの中で言うと真ん中へんを少し過ぎた辺りに位置します。 まー、まじめだった私は(というより今考えたら、やはり文学がかなり好きだったんだと思いますが)、谷崎の全集を第一巻から順番に、ちょこちょこと気づいたことをメモに取りながら読んでいきました。(メモの紙が3センチくらいの分厚さになりました。) ところが、谷崎生涯のキャリアの真ん中へんの『蓼食ふ虫』ですら、全集第一巻から読んでいきますと、なかなか到達しないんですね。谷崎は結構多作であります。 というより、谷崎作品後期のちょうど入り口に位置する『痴人の愛』とか『卍』とか、そして『蓼食ふ虫』の直前までは、はっきり言っていかにもマンネリじみた作品が(未完も多いです)山のようにあって、ここが結構大変でした。 で、結局私は、谷崎全集の全部を読み切ることはできず、さすがになんとか『蓼食ふ虫』は読み終え、さらに名作『春琴抄』辺りもカバーし、なんとか『細雪』の手前まで来ましたが、いかんせんそこで全集読破は力尽きてしまいました。 (だから卒論は全作を読んだふりをして書きました。そのころはなんか、卒論を書くのなら、当然その作家の全作品を読んでいるはずだといった風潮があったように思います。今でもそうなのかしら。) というわけで私は、『細雪』も含めてこの辺り以降の作品、例えば『少将滋幹の母』とか『鍵』とかは、それ以前に文庫本で一度読んだきりで、それ以外の文庫になっていない作品も含め、谷崎作品のコンプリートからは少し遠い状況にありました。 しかしその後、ぽつぽつと未読作品を拾っていき、私は少しずつ谷崎作品ジグソーパズルのパーツを埋めていきました。 で、かなり埋まったと思いつつこの度本作を読んだのですが、読み終えて、これがまた、なんかよく分からなくなったのであります。 何がよく分からなくなったかを一言で言いますと、晩年の谷崎にとってのハッピーエンドとは何かと言うことであります。 谷崎はある意味とても幸福な作家で、自分の理想の女性像というものを生涯のテーマとしているだけに、それを見付け得たときは、断然ハッピーエンドの作品を書くことができるわけです。 その代表的なものは『春琴抄』でしょうが、『痴人の愛』や『芦刈』や『鍵』などでも谷崎的ハッピーエンドと考えることができると思います。 (これがどんなに幸福なことかといいますと、例えば大江健三郎の様に、人類の救済みたいなものを自分のテーマに持っちゃいますと、小説家にとっての書くこと=生きることは、永劫回帰の「苦悩」の塊のようになってしまいますよね。) ただ、この「谷崎的ハッピーエンド」とは、一般的に言ってかなり特殊な状況でありまして、例えば本作にも、こんな表現が出てきます。 主人公の父親が、亡くなる前に枕元の主人公に語っている場面であります。 「わしはもう長いことはない。これが定命やさかい諦めている。あの世へ行ったら、前のお母さんが待ってるやろさかい、久し振で逢えると思うと嬉しい。それよりわしは、このお母さんが気の毒でならぬ。このお母さんはまだまだ先が長いのに、わしがいんようになったら、お前より外に頼りにするもんは一人もない。ついてはお前、このお母さんを、このお母さん一人だけを、大事にしたげてくれ。(略)この世の中でお前の唯一の生き甲斐にして、外に何の幸福も要らぬ、と云う心になってくれんか」 父の眼は、私の眼の中をいつまでも探るように見据えた。(略) 「それで、お母さんを仕合せにするためには、お前が嫁を貰う必要があるが、それはお前のための嫁ではのうて、夫婦でお母さんに仕えるための嫁でないといかん。それにはあの、梶川の娘のお沢と云う子、あの子を考えてるのやが」 と、そう父は云った。 ……うーん、まさにこれこそ、典型的な後期の谷崎潤一郎の「ハッピーエンド」ですなー。 で、次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.22 08:52:40
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