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カテゴリ:明治期・耽美主義
『夢の浮橋』谷崎潤一郎(中公文庫) 前回の報告の続きであります。 前回は、一応昔の律儀な文学青年であった私は、大学の卒業論文を谷崎潤一郎に選んだ時、頑張って全集読破を目指したが、力及ばず泣きくれた、というところまで書いたような気がしますが、ちょっと違っているかも知れません。 あ、思い出しました。「谷崎潤一郎的ハッピーエンド」のお話でありました。 谷崎潤一郎は近代日本文学史上飛び抜けた天才作家であったと同時に、まれに見る幸福な作家でもありまして、芸術のテーマを「自らの求める女性美」に置いたことで、いけしゃあしゃあとハッピーエンドの小説を書くことを可能にしました。 これは苦悩に満ちた真面目な純文学作家では、なかなかできることではありません。 ただ「谷崎的ハッピーエンド」そのものは、かなり特殊な物でありまして(この特殊性も、「谷崎的ハッピーエンド」を可能にした大きな原因であります)、それは天才的作品『春琴抄』が典型でありますが、主人公の男が、「高貴な女性に身も心も尽くす」というマゾヒスティックなシチュエーションでありました。 そしてこのマゾ・シチュエーションを谷崎に可能にした女性こそが松子夫人であり、谷崎が夫人に対し、自分のことを奉公人のように扱ってくれと頼んだ手紙は有名であります。 このように谷崎は、自らをちょうど『春琴抄』に描いた「佐助」と同じ立場にイマジネートすることで、『盲目物語』を描き『芦刈』を描き『吉野葛』を描き、向かうところ敵なし、まるで重戦車のように回りの物をなぎ倒しながら進み続け、とうとう文壇で押しも押されもせぬ大文豪になったのでありました。 ところが冒頭の小説『夢の浮橋』であります。(本書には、『夢の浮橋』小説一編と、後はエッセイが4つ入っていまして、時期を同じくする文章と言うことではありましょうが、フィクションを求める読者にとっては少々欲求不満な作品集であります。) この小説も、前回わたくしが引用した部分から読みとれるように「高貴な女性に身も心も尽くす」という谷崎自家薬籠中の状況をせっかく丁寧に作りながら、筆者はあっけなくそれを壊してしまうんですねー。 私は読んでいて、思わず「えっ?」と声を挙げてしまいました。 女主人・松子を得たことで絢爛豪華に花開いた谷崎桃源郷は、一体どうなっているのだというのが、少々大げさにいった私の感想でありますが、実はこの思いは、少し前に読んだ『瘋癲老人日記』の時にもちらりと感じたものでありました。 あの時は結局理解しきれず、私は気になりながら放って置いたのですが、今回、本書の解説を読んでみますと、文芸評論家・千葉俊二が、やはりそれらの事柄について触れていました。それは、一言で言うとこういう事です。 「最晩年、谷崎(美学)は、松子夫人の影響下から離れようとしているのだ。」 ……うーん。再び私は唸りましたね。 書かれてみると全くその通りで、納得せずにはいられませんでした。 しかし私はなぜその事に気が付かなかったのでしょうか。晩年の谷崎の私生活について書かれた文章も、今までちらほらと読んでいたように思うのですが、なぜこのことに思い至らなかったのでしょう。 しばらく考えて気が付きました。 それは、「まさかあそこまでやりながらそこまではやらないだろう」という私の思い込みでありました。 「あそこまで」とは、松子夫人が谷崎の子供を身ごもった時に、子供ができてしまったらあなたと私の関係が変質してしまい私は小説が書けなくなると言って、谷崎が堕胎を強要したことを指します。(「強要」は書きすぎだろう、せいぜい「サジェスト」程度じゃないかという説もあります。) 「そこまで」とは、そこまで一方的に自分の「ミューズ=芸術的女神」に祭り上げた松子夫人を、晩年になってこれまた一方的にその座から引きずり降ろしてしまったことを指します。 なるほど、もとより豊穣な谷崎小説世界は、その時どきの谷崎自身の欲望に忠実であったこと(表面的マゾヒスティクに見えながらも、実はサディスティックなまでに自己の美意識にのみ忠実な欲望)から生まれているのは明らかであります。 そんな、いわば谷崎文学の基本を失念していたのは、私の読みのいかにも迂闊なところではありましょうが、……うーん、しかし、思い起こしてみれば、『瘋癲老人日記』に描かれていた老妻、主人公の老人が洟も引っかけない硬く冷たい態度で接していたあのご婦人が、「松子主人」が晩年、谷崎美学的にメタモルフォーゼされた姿であったとは、……。 ……うーん、何度も唸ってしまいますが、まだまだ、いろんな驚くべき事柄があるものでありますなぁ。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.01 09:41:17
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