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2014.04.21
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カテゴリ:昭和~・評論家

  『志賀直哉・上下』本多秋五(岩波新書)

 ここに志賀直哉という「謎」がある。

 などという書き方をすればとってもかっこいいですが、残念ながらその先をさらにかっこよく続ける文才も知識も、わたくし持ち合わせておりません。実に残念であります。

 こういった作家評論を読みますと、筆者よりも、描かれている対象の作家について目がいくものでありますが、私も同様でした。
 志賀直哉の小説について、まず自分の読書歴を何となく振り返ります。そして、志賀直哉の文学史上の評価について、幾つか知り得た知識を思い出すのですが、冒頭の「謎」ということに絡めて言えば、やはりなぜ志賀直哉はかくも評価が高いのか(高かったのか)と言うことではないかと思います。(ついでにさらに面白いのは、志賀直哉の高評価は、作品のみを意味していると言うことでは、どうもなさそうな点にもあります。)

 ところが、今回本書を読んで、後半はほぼ『暗夜行路』に関する評論になっているのですが、筆者は『暗夜行路』を、志賀直哉の代表作であるなどとは思わず読んだ方が小説の素晴らしさが随所に感じられるというようなことを書いています。

 少しねじくれた感じの表現ですが、これは今という時代(「今」といっても本書の初版は1990年なんですが)の志賀作品全体の評価の変化を反映しているんでしょうね。
 かつての「小説の神様」扱いは(考えれば、まぁ当たり前ですが)既に過去となり、正面から志賀作品に向き合えば「あら」はあちこちに見える、と。

 しかしかつてはそうではなかったですね。
 例えば志賀直哉の小説の描写力については、実に様々な作家がほぼ「絶賛」というレベルで褒めていました。
 私もすぐに思い出すのは、三島由紀夫が『文章読本』で、『城の崎にて』中のイモリの死の場面の観察と描写を、ほぼ絶賛していた文章であります。
 確かに私も、三島由紀夫に教えられるままに、すごい表現であると感じました。

 一方、かつて志賀作品を嫌った一派といえば、これも有名な第二次世界大戦後の「無頼派」でありましょう。
 典型にして最もラディカルであったのは太宰治の『如是我聞』でありましょうが(まるで太宰は泣きながら喧嘩しているようでありました)、坂口安吾などももっと冷静な口調で、志賀直哉作品には文学的な主題などは一切ないと切って捨てるように書いています。

 また明治大正期の文芸評論家の生田長江も、『和解』のことを、なんともお気楽な父との確執であり和解であることかと書いています。その時代における不治の病と闘っていた生田長江とすれば、武者小路とか志賀とかの「白樺派」一派は、虫酸が走るようなお気楽集団と感じたのであろうと想像されます。

 と言うように、毀誉褒貶、様々な批評も受けながらも、それでも21世紀の現代でも志賀作品は、やはり代表的な近代日本文学のように扱われていると思います。(しかし今でも読まれているんでしょうかね。もっとも、今も読まれている文学史上の純文学作家など、はたしてどのくらいいるのだと考えてみれば、志賀直哉だけの話ではないですが。)

 さて、ごくざっくりと、本書における志賀作品のテーマの変遷を見ていくと、アバウトに以下のようになると思います。

   キリスト教と性欲→自己中心主義→自我の脱却・死への親しみ

 最初の「キリスト教と性欲」については、若き日の志賀直哉が内村鑑三の門下にあって苦悩していたことを指しますが、幾つか習作のような小編はありながら、志賀らしい作品として名の知れだした時は既に「自己中心主義」的作風であったと思われます。本多秋五はその典型的作品として『范の犯罪』を挙げています。(この辺の論証は面白いです。)

 「自我の脱却・死への親しみ」は、やはり『城の崎にて』あたりからで、『和解』を挟んで『暗夜行路』と、そのテーマは拡大深化されていると筆者は書いています。ある意味、納得できそうな思想的変遷であり、晩年の志賀直哉が殆ど小説を書かなくなったことについても、自我の脱却が果たされた後に小説のテーマは残り得なかったと考えることができそうです。

 結局のところ、文学史上の志賀直哉高評価とは、この自我から自然へというパターンが、まぁ日本人好みであったせいかなと、わたくし愚考いたします。
 ベートーヴェン的(西洋的)世界観で言えば、苦悩を突き抜けた先には歓喜があるのかも知れませんが、志賀的(日本的)世界観では、苦悩の先には静謐な死が控えているばかりでありましょうか。

 それが停滞的、敗北主義的なものであるのか、西洋的積極主義の行き詰まりをアウフヘーベンするものであるのか、ちょっとわたくしでは、考えきれないのでありますが……。


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Last updated  2014.04.21 23:09:17
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