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analog純文

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2014.06.01
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  『谷崎潤一郎論』中村光夫(新潮文庫)

 かつて私は、中村光夫のことを、穏やかな丁寧な内容を持つ文芸評論家だと思っていました。
 確か私が初めて中村氏の文芸評論とであったのは高校生のころで、読んだのは岩波新書の『日本の近代小説』と『日本の現代小説』だったと思います。

 今考えてみると、それらがオーソドックスな展開の文芸評論であったのは、いわばその学問分野の入門書のような位置を持つ岩波新書だったからだなと気が付くのですが、でもそれ以上に、私が「穏やかな丁寧な内容」と感じた主たる原因はやはり、例の「ですます調」の敬体の文章のせいでしょうね。

 私がずっと駄文を綴っている本ブログが敬体であるのは、そんなことは今まで思ってもみなかったですが、ひょっとすると中村氏の影響があったかもしれません。(今回、そんな思わぬことにも気が付きました。)

 ところで、中村氏がそんな「穏やかな丁寧な内容」ばかり書いている方でないことに私が気付いたのは、これも有名な文芸評論だそうですが、彼が志賀直哉について書いている本を読んだ時でした。
 それは、志賀嫌いで有名な太宰とか安吾とか織田作とか、いわゆる「新戯作派」ばりの実に「辛辣」な批評でありました。

 さて本書にも、別に「辛辣」ではありませんがこんな部分があります。

 大正九年(一九二〇年)と昭和四年(一九二九年)、或いは大正十年と昭和五年を比較して見れば、この十年のあいだにひとつの革命が横たわることは誰しも認める筈です。
 そしてこの革命が、新しい文学を生まぬ文学革命という奇妙な性格を持っていたために、どれほど曖昧な渦紋と複雑な断層が生じたかは現在僕等の身にも響いている問題です。
 大正期の作家は、そこで例外なく半生を費して築きあげた「文学」の概念の崩壊に立ち合わねばならず、この危機は当然多くの作家を不毛と涸渇に追い込んだのですが、同時にそこに登場した新作家のなかにこの廃墟をはっきり片付けて新しい家を建てた者もまた居なかったのです。


 どうですか。水際立った見事な切り口の主張ですね。
 でも例えば、「誰しも認める」とある「誰しも」って、一体誰なんでしょうね。
 わたくし思うのですが、こんなほぼ「独断」といっていい論旨は、きっと小林秀雄の影響ですよね。
 でも、小林秀雄よりははるかにしっかりと「文脈」があります。(小林秀雄のはなはだしい時の独断には文脈なんてほとんどありません。)

 そんな中村氏の谷崎論ですが、私が一番面白かったのは『春琴抄』後の谷崎を論じたところでした。
 上記引用部にもあるように、昭和初年芥川龍之介の自殺に象徴される一つの時代の終焉は、他の作家と同様に、谷崎にとってもひとつの文学的な大きな危機だったでしょうが、中村光夫は、それに並ぶものとして、谷崎の場合『春琴抄』後の文学的危機に着目します。

 「この小説はたんに谷崎の円熟期の代表作であるだけでなく、我国の近代小説のなかから十篇を選べば必ず加えらるべき傑作であろうと思われます」と中村も評価する大傑作であるがゆえに、その次に何を書けばいいのかは谷崎の大きな文学的危機であったと筆者は書きだします。
 そして注目するのが、谷崎の『源氏物語』口語訳であります。

 「五十歳を越えた作家が、『一日平均三枚強』という速度で、三千四百枚の翻訳を完成するのは、それだけで或る異常な熱情を感じさせることですが、彼は更にその何倍かの日時をその改訂に費やして倦まぬようです。」と解説した筆者が説いたその原因は、谷崎が、平安時代の文化や恋愛に、春琴と佐助の恋愛のような「特殊な人間同士」のものではない恋愛を探ろうとしたということでした。

 しかしその結果としてわかったことは、そのような時代の恋愛は、本来谷崎が半世紀ほども描き続けていた恋愛とはかけ離れたものであったということでありました。
 そして一般的によく言われている『源氏』口語訳の小説的結実である『細雪』には、ほぼ恋愛が描かれることはなく、さらにその後も、谷崎は今(本論の書かれた昭和26年)にいたるまで、恋愛小説は書いていない、と。

 なるほど、昔私が『細雪』を読んだ時に何となく感じた違和感、例えばこれが『卍』や『痴人の愛』を書いた作家と同じ作家だろうかといった違和感の正体はこれだったのかもしれません。

 ……うーん、生き続ける作家(=表現者)というものは、やはり想像以上に大変なものなんですよねぇ。……。


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Last updated  2014.06.01 15:32:45
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